勉強の意味

正月太りでプチダイエットを敢行中の不肖です。
久しぶりに9時半に起き、思い立って横浜のクイーンズスクエア
セールに行ってきました。買うものも買って満足満足。
青葉台に帰るとなんと○○さんとその素敵な彼女が・・・。
なにしろイタイ男とその彼女と、ダブルデートでいとかなの
店に行ったとか何とか。

話は変わりますが、本格的に就活も始まります。


職業について今日、あることを契機に思ったことがありまして。


それぞれに生きている人にはそれぞれのバックグラウンドが
あるわけです。


例えば一つのこと(『A』とする)を志向していると一口に言っても、
その『A』はそれぞれの人の解釈によって何にでもなるわけです。
それはよく『言葉の恣意性』といわれる問題ですよね。


その『恣意性』を解消する努力を人間は常にすべきだと思います。
そして『恣意性』は、実際の行動だけではなく、その行動を
担保する知識を伴わなければ解消されえないと思います。


勉強だけすればいいのではないのは当たり前、
勉強しつづけるのは、最低限の努力なのではないのかな。


常に内省しつづける組織こそ、真に活動する主体として
現実を見据え、統一的に、継続的に目標に突き進んでいけるのでしょう。
その姿勢がない組織はいつか自己の正体を失ってしまうのでないでしょうか。

『勇気の伴わない知識はなんの役にも立たず、知識の伴わない勇気はただの暴力に過ぎない』

 
自己を内省する姿勢こそ、唯一、自己の正当性を担保しうるのだと思います。


ひとつのある民間組織への思いがさめると同時に
第一志望官庁への思いが強くなった一日でもありました。