『思想』について。

最近はもっぱら本を読んだり、卒論の勉強をする毎日なのですが、昭和史に関する本をよんでいると、ふむむ・・・と考えさせられることがあります。


戦前における軍部の台頭、共産党の弾圧や、軍閥の争い、政争などがどのようなものであったのか、教科書的なことしか知らなかっただけに、その内容にはいろいろな発見があっておもしろいしね。


さて、今は二・二六事件のあたりの記述を読んでいるのですが、それに関して私が考えているのは『思想とは何なのか?』ということです。


辞書に即して言えば

『思想』
・単なる直観ではなく、論理的、社会科学的に検証を重ねて得られた考えのこと。
・社会を大きな観点から捉えるような、まとまりのある考え。


って感じになるんだろうと思います。
この前提から考えると、対立するような思想があった場合に、
『人は理性的・論理的に思想を選ぶ』ということが言えるんだと思います。


でも、戦前の様々な革新運動の様子を見てみると、それは何だか疑わしく思えてきます。


共産党の運動や青年将校の運動の理念に共通して言えるのは『農村部の貧困への意識』があったんだと思います。


農村部の貧困の悲惨さを無視し、様々な事件を政争の具にしては権力闘争を続ける政治家たちや軍部の高級将校たち(これはあくまで彼らの考えを推測して書いているもので、その正誤については論じていません)に対する怒り・不満は、やがて『革命』『昭和維新』といった考えにつながっていきます(もちろんこんな簡単な記述で全てをカバーできるわけではありませんが・・・)。


彼ら(特に行動派)の論理には、歴史を事後から見ることのバイアスを割り引いて考えても、論理的な矛盾、戦略の欠如などが見られます。逆に論理を追求していったも者は時代に合わせる形で運動をやめたりするわけです。


そして注目すべきは青年将校たちが標榜したのは一種の国家社会主義で、松本清張の記述にあるように、左翼の思想に近接しているがために意識的に差別化を図ったりしていることです。司法省の検事は『左翼も右翼も、行き着くところ同じである』といった意味の発言をしています。


ここで考えます。
『ではなぜ、彼らは違う思想を選び、そのもとに改革を達成しようとしたのか?』


『彼らが立場に従って自由に考え、思想を選んだからだ』という意見ももちろんあるでしょう。しかし、もしかしたら『自分のおかれている地位・境遇のうちに、意識せずに思想という枠内にはめ込まれた』のかも知れません。


簡単に言えば、労働者はインテリや国家を否定することで、天皇統帥権のもとにある軍人は天皇の主権を強調する形での『昭和維新』を唱えることでしか改革はなしえない。そこには大局的な視点や社会科学的検証などではなく、『自分のおかれた環境、立場による思考体系』をまざまざと見ることになるのではないか、と思うんです。おおざっぱに言えばね。


もしそうだとしたら、思想は自分の都合に合わせた意志実現の手段、あるいは、それを意識していない場合には無意識に自分の行動を規定する枠になるのではないかな、と。


小林秀雄の「思想嫌い」は有名な話ですが、彼がなぜ思想を嫌ったのか、もう一度読み返してみたいと思います。


あ、ちなみにここで書いてきたことはあくまで一つの可能性で、全く正しくないかも知れません。そのへんはヨロシクですね。


『自分が、ある考えをほんとに自由に選んでいるのか?』という問題はきっと超えることのできない壁として存在し続けるのだろうな。