何を追及すべきか?

JR西日本の事故、死者が100人を超えるかもしれないとのこと。
亡くなった方の話など、悲しいです。


ニュースでは新たに「運転手の労働環境」が事故の原因として挙げられていました。
私鉄との競合のすえ、秒単位の運行管理など、過剰な負担が運転手にかかっていたとのこと。
数ヶ月前、「新幹線は平均20秒以内の遅れで運行している」という話を聞いたときには
自分もびっくりしたものです。
ヨーロッパなどでは電車は遅れるのが当たり前ということなので、運行の正確性は誇るべきことだと思います。


今回の事件を見ていると、どうしても山崎豊子の『沈まぬ太陽』を思い出してしまいます。
今回のマスコミの報道姿勢を見ていると、『利益のために安全を軽視する悪のせいだ』という単純な批判が
メインのように思えるけれど、「果たしてそうなのだろうか?」と思います。


沈まぬ太陽』の題材となっているは日航ジャンボ機墜落事故
500人以上の死者を出した事故から学んだはずではなかったのか?それとも学びが足りなかったのか?


そうではないかもしれません。こうも考えられます。
『学ぶべきポイントが間違っていたのではないか?』


大体多くの批判は「正」と「悪」の対立に置き換えて批判されているように思います。
しかし、そもそも「安全」ということに関して鈍感なのは日本航空JR西日本だけなのか、
日本人が総じて「安全」に関して無神経なのではないのかな、と。
マスコミはあまり言いませんが。


マスコミにしても普段は人のアラを探すようなニュースなど流しておきながら
ひとたび事故が起こると「真実の究明」を語って神妙な面持ちをしていたりね。
もっと普段から出来ることはあるのでは、と思ってしまいます。


自分の知る限り(あまり多くのことは知らないけど)、日本人は『歴史から教訓を得る』ということを
きちんとしてこなかったと思うし、『歴史から学ぶ』と言っているときでもそれは何らかの観念に
ゆがめられているようにも思えます。


まずは『善と悪』の前提を抜け出し、現実的に冷静に事実を分析する。そしてそれが起きない組織の仕組み、
さらには社会を考えていく、ということが大切なのだろうと。


犠牲者の遺族の方がマスコミのインタビューに答えて

『あななたち(マスコミ)も含めて、日本社会の緩みが今回のようなことの原因になっている。自分もそうかもしれない。だから誰か(JR西日本、運転手)を責めても仕方がない』

と言っていました。


人ごとではなく、自分へも問題をひきつけて考えること。
まずはそこから始まるのだろうと思います。