考えること。

昨日に続き、JR西日本脱線事故について考えたこと。


以前(5日位前だけど)読んだ山本七平の『日本はなぜ敗れるのか 敗戦21ヶ条』の第一条をふと思い出しました。

『日本は精兵主義の軍隊に精兵がいなかったこと。アメリカは誰にでもできる作戦を立てていた。』

という内容です。

資源、物量に劣る日本が兵の質を上げることで列強(想定はソ連)に対抗しようとしたと。
それが軍隊という巨大組織の中において、兵隊に「職人的プロフェッショナル」であることを求めたこと。
結果的にそれが精神性として定着し、高度で融通が利かない作戦は一般人にとって代替不可能となり、組織として弱体化していった。

ということが書いてあったように思います。
ここでは「精兵がいたのか、いなかったのか」ということは議論の焦点ではなく、ここで述べられているのは組織論なので
「精兵がいなくなった結果、精兵主義を前提に立てられている作戦は実行できず、それが敗因となった」
つまり

「大規模な組織では、前提として誰にでも出来るような仕事の体系を考えなければならない。
それを可能とするのは科学力、技術力、物量である」

というのが中心の論であると思います。


今回の列車事故を考えるに、「精兵=有能な運転手」、「高度な作戦=高度な運行管理」
「精兵をつくるための練兵」=「日勤研修」、「科学力、物量」=「最新型ATS」と考えたら、一つの教訓が出てくるように思います。


JR西日本のように大きな企業において全ての運転手に、個人的な努力として高度な運転技術、運行管理を求め続けることには限界があった。日勤研修によって精神性を高め、プロフェッショナルを求め続けるよりも、最新型ATSの導入によって安全を確保することの方がより重要であった』
ということになるのではないかな。


利益、採算の問題で導入が遅れたということもあるのでしょうが、長い視野で見た時、何が企業の利益になるかという事を考えれば、決して不可能な選択肢ではなかったでしょう。それが『歴史に学ぶ』ということなのだろうと思います。


マスコミは相変わらずJR西日本を批判し続けていますが、やはり『悪』と決め付け、揚げ足をとっているだけでは、大切なことは何も変わらないんじゃないかな。
会社に対して勧告する労組、というのも良くわからないし、マスコミにとって会社は『悪』
多くの人にとってはどこかで起こった大惨事、みたいな感じ。
でも本質は


これは自分の周りでも起こりうることなんだ。このままではもっとひどいことだって起こりうるんだ。


ということなんじゃないかな。


なんか時事評論みたいだな・・・