何を見て、何を考えるか。

今日は完全休養二日目。
家でゆっくり本でも読みつつ、晩飯も家でゆっくり食べて、コーヒーでも飲みながらまた本読んだりする生活はとっても幸せです。・・・まぁ今のところはね。またもう少ししたら飲み続ける日々が始まるんだろうけどね。


さて、今日はベルリッツなどに行って無料カウンセリングなど受けたりする他は、家で読書してました。
宮嶋茂樹サマワでいちばん暑い日』を読了。本を読んで思ったことは(本文とはあまり関係ないかも知れません)、理念や偏見、部分的な事柄から世界平和を語ることは虚しいし、ほんとの『現場』での事実を無視してしまうことにもなりかねない、ということ。


『世界平和』という考えを否定しているわけではありません。ボクも世界が平和になればよいと、心から思っています。しかし、そこに超えがたい大きな問題があるからこそ、人類は未だ一度も『世界平和』を達成したことがない、という事実は無視してはなりません。


『世界平和』という観点から、全てを見下ろして語ることは容易だし、そんなのはどこぞのませた小学生にでも出来るでしょう。


例えば、世界には貧しい国がたくさんあります。食料も満足に得られず、教育も満足に受けられない人がたくさんいます。


その人たちを助けたい、と思うなら、まずは自分の周りに気を配らねばなりません。まずは自分がおかれている環境を客観視するような努力がなければなりません。


『何を見て、何を考えるのか』。そこで間違えないことが大切なんでしょうね。その第一歩は自分がいろんなものに規定されていることを認識することです、きっと。世界とつながってる前に、もっと緊密につながってるものがあるんです。そのつながりの先、またその先・・・とつながって行くとしたら、そこにこそほんとの世界があるんだ、と思います。


街中であるものを見るたびに、自分の中の少しひねくれたところが心の中でつぶやきます。

この人は自分の周りに『ホットケナイ』ものはないのかな・・・
それをきちんとみつめているのかな・・・

これは自戒でもあります。