卒園遠足のおもいで。

むかし、まだまだ「かわいい」とか言われていた頃、ボクは幼稚園で元気いっぱい遊んでいました。


そんな年長になって幼稚園ライフもそろそろ終わり・・・基本的に何にも考えていない幼稚園生のボクは、みんなと別れる悲しさとかも特に考えず、とにかく卒園式ではく革靴のことばかりが頭に浮かんでは憂鬱になるのでした(『だって足が痛くなるし・・・』って気分です。わかるかな?)


三月の終わり、ボクは三浦半島の水族館に卒園遠足に行きました。乗り物酔いする(今はあんましないけど)ボクはバスのことは心配でしたが、しっかり弁当も作ってもらって、上限の300円ギリギリに買ったジャンキーなお菓子をリュックに詰めてワクワクしながら家を出発しました。


幸いバスにも酔わず、いろいろ暴れたりしながら水族館を見て回ったり、特に意味もなく大声を出しては、何が面白いのか、嬉しそうにはしゃいでました(こどもってそんなもんですよね・・・)。


さて水族館見学も一段落、つぎはお楽しみのお弁当タイムです。先生がいろいろ注意とかしてるけど、もう全然聴いてません。友達とどこで弁当を食べるか、とか、お菓子何持ってきたか、とか話しながらはしゃいでます(こどもってそんなもんです・・・)。


ボクたちは芝生の上で弁当を食べました。みんな訳わかんないことギャーギャーしゃべりながら、楽しそうに弁当食べてたんだと思います。


ふと、横の方を見たら、金髪の外国人の男の子(たぶん同じ歳でした)が一人で寂しそうにお弁当食べてます。違う制服きてたから、たぶん違う幼稚園の卒園遠足なのでしょう。少し離れて、その子と同じ制服を着たこどもたちがいくつかのグループに分かれて、楽しそうにお弁当を食べていました。


その子のお弁当はサンドイッチでした。ミミを落としてない食パン二枚ではさみ、トマトとかハムとかレタスとかたくさんのものが入ってる、カットしてないサンドイッチを食べていました。今みたいに周りにはそういうサンドイッチもなかったし、名詞みたいにきれいに切ったサンドイッチが一般的だったから、他の子は「なんだよ、あれ?」みたいな目で見ていました。


その子はそのサンドイッチを恥ずかしそうに、抱え込むようにして食べていました。ボクはそれを見てとても悲しい気持ちになりました。


「きっと日本に来たばっかりで友達いないんだろうな・・・」
「みんなと同じようなお弁当を持ってきたかったんだろうな・・・」
「でも、お母さんには言えないんだろうな・・・」
「この子は今、すごいつらいんだろうな・・・」


23歳になった今でも、その光景はボクの頭の中に思い浮かんできます。
ボクは、差別って意識しないところに、ごく当たり前みたいにもありうるものなんだろうな、って思います。それはそこに6歳の時のボクがいるからです。


みんなが楽しんでるように見えても、そこにはもしかしたら声も出せずに、誰にも助けをもとめられずに苦しんでる人がいるかもしれない・・・その時はそんなこと考えられなかったと思いますが、それでも自分が見ていて、
『これはとってもとっても悲しいことだ』
と思った6歳のボクがいたんだと思います。


ほんとの孤独には、きっと救いはありません。出口も見えず、望みもありません。
そこで誰かが何かをできたら、とボクは思います。それがほんとの『愛』って呼ばれるものなんじゃないかと思います。


だから努力もしてないくせにチャラチャラと愛を語る人を嫌います。
恋愛をあつかったドラマや映画もほとんどみません。


あんなものがほんとに『愛』だったら・・・人間に救いはありません、きっと。