春の土曜日。

poriporiguchi2007-04-22

今週も特に予定を入れず。土曜日は駒沢公園を走り、夜はサラダを食べながらビールを飲んで本を読む。ん〜なんて理想的な週末なんだ・・・とか言ってる自分はとても寂しい引きこもり人間みたいですが、決してそんなことはありません。


夜には、なんとなく借りてきていた『風の谷のナウシカ』を見る。ちょっとメッセージ性が強いし、すんなりと入っていけないんだよな〜ってところが昔は(そんな昔じゃないんですけど)あったんだけど、今回は終始おもしろく見させていただきました。
よく言われるように宮崎駿作品には環境に対する意識を感じるし、ナウシカはその典型的な作品だとも言われるけど、まぁそんなことは抜きにしてよかったです。


ナウシカすごすぎたり、ウパ様強すぎたり(ほんとに強い・・・)と、よく考えるとありえないことがたくさんあるけど、そんなのはアニメではよくあることで。
さて、ゲド戦記ナウシカも、表現のストレートさという面では似ていると思うんだけど、ナウシカにあって、ゲド戦記にないものって何だろうか、って考えてみる。
ボクは思うんだけど、それは『人間の持つグロテスクさ』なんじゃないかな、と。
ゲド戦記では結局一部の様々な能力を持った(ある意味アブノーマルな)人たちが、戦って、あ、ボクたちが勝ちました、よかったじゃん、めでたしめでたし、じゃあ帰るか・・・みたいなところがあるけど。


ナウシカでは、最後、ナウシカがオウムをしずめて、風の谷の一時の平和を取り戻すにしても、実は根本的な問題はほとんど解決されていないし、またいつ軍事大国が攻めてくるかわからない。
ある意味では完結した小さい社会を維持し、目に見えない、民族とか国とかいう意識によって生まれうる人間のグロテスクな(しかし否定しがたい)正義感をもつことから逃れているわけだけど、その裏返しとして社会的には弱い集団としてある。


そういことを抜きに文明だとか環境だとか人間とかを語ったところで、それは学校の教科書より意味のないものになってしまうんでしょうね。


そして自然を『美しいんだ』って描いていないところはいいですよね。
だってオウムの見かけがピカチューだったりしたら(古いですか・・・)、それは『かわいそうだ、守ってあげなきゃな、うん』って思う人も増えるだろうし(増えるのか・・・?)、でも逆に「うむむ・・・」って作品になったと思う。


そう考えるといわゆる『ジブリ好き(フィギュア好きとかは除く。)』の人々の中で、ナウシカはどういう地位を占めているのだろう、少し興味があるね。

さてみなさん(っていっても社会人向け)、GWに向けてがんばりましょう。