再開。

みなさまお久しぶりです。
就職して、職業柄あんま日記とかつけてはいけないかな、とか思ってやめたMIXIでした。


働いてみて、学生時代には得られない多くのものがあると感じます。
でも、もう一方で、仕事の中に飲み込まれていってしまいそうな自分もいます。


普段は「話す」とか「書く」とか、あんまり重要だとは思われないけど、
そういった行為がどれだけ自分にとっての自由を確保してるか、ということを改めて認識しています。


特に「書く」ということ。


その場限りでどこかにいってしまう「話し」とは違い、誰かに、何かに対する自分の思いをカタチに残すとうこと。
それこそが「書く」ということ。


「話す」ことも「書く」こともなくなって初めて、「自分」というものの危うさに行き当たります。
少し前に自分が考えていたことをどれだけ覚えているか
少し前に、人に、社会に、世界に、自分に覚えた怒り、悲しみをどれだけ心の中に持ち続けられるか


ホロコーストを体験したハンナ・アーレントは、記憶することの意味を言いました。
ホロコーストが持つほんとの恐怖は、単に多くの人の命を奪ったからではなく、殺されていく人々の言葉を、話しを、物語を奪ったから。アーレントは言います。


では、自分は語る得る何かがあるのだろうか、自分というものをどのようにして語りうるのだろうか。


と、いうわけでまたちょくちょく書いていこうと思います。
まぁ激務なので学生時代みたいに頻繁には書けないとは思うどね。
ただ就職して、タイピングの早さはだいぶ向上してるので、それはいいことかな、とね。


ボクのことなので、どうせまたマニアックな日記になりそうだけど、まぁ読んで下さる方がいたら幸いです。
村上春樹が言うように「書く」ということが「自己療養」なのだという意味、
そこにこそ自分があるのだと感じた最近でした。ではまた。