もっと、上の方へ

poriporiguchi2006-09-10

五年前の9月11日。
サークルの秋合宿に出発するはずだったけど、突然の台風のために出発は延期。なにもすることがないので、同期で飲んで帰ってきました。今から考えるとだいぶ早い帰宅だったけど、次の日は早いし、早く解散しようってことだったんだろうと思います。


大雨の中、自宅に帰り着くと、母親が暗い部屋の中でテレビに見入っています。普段はアイロンなんかかけながらチラチラとテレビの方に目を向けるようなことが多い母親なので、「なんか今日は変だな」って思ってことは覚えています。そこに父親がいなかったことも。
暗い部屋、母親・・・


そして煙を上げているWTC。


そのときはWTCっていうのが何なのかも知らなかったし、まさかそれが、テロリストによるものだってこともわかってなかった。ただ、暗い部屋、母親、WTCを映し出すNHK。


これはいったいなんなんだろうな、って思いながらボオッとテレビを見ていたら、飛行機がビルにスッーっと近づいてきて、衝突しました。2つのビルから上がる煙、そして、まるでゲームのように崩れていくWTC。それはあまりにも容易で、たいしたことがないように見えました。


飛行機が近づいてきて、ぶつかって、ビルが崩れる。まるでゲームみたいに。
人の死なんてまるで関係ないかのように、淡々とおこること。あの時、「これは当たり前のことなんです、別にたいしたことじゃないんです」って言われても、別に疑問を持たなかったかもしれません。そのくらいに何でもないようなことに思えた。


事件の詳細を知るにつれて、そこにはとてつもない憎しみと悲しみと怒りが詰まっていることがわかってきました。


でも自分にとって、いちばん衝撃だったのは、「こんなに悲惨な出来事が、あんなに当たり前のように見えてしまうんだ」ということ。アメリカ人の多くにとって、人生観をかえてしまうような出来事でも、自分には共有することができないのかもしれない、ということ。


それは自分が日本人であるからかもしれない。違う言語を話し、違うカルチャーのもとに暮らしているからかもしれない。でも、それを超えるような何かがないと、もっと悪いことはいくらでも起こりうるんだ。


自分の中にしっかり持っていないといけないのは、全てを当たり前のこととしてとらえちゃいけないんだってことです。国とか社会とか文化とか、それは人間を規定する一方で、人間自身がつくりだしたものでもあるんだってことです。自分たちの作り出したものを自分たちがコントロールできずに、多くの悲しみを生み、多くのものを損ない、それを当たり前だと思っては、決していけないんだということ。


自分が自分を離れて、もっともっと上の方へ上がっていきたいと思います。どんどん上がっていって、鳥みたいに街を、国を、世界を見てみたいと思います。きっとそこにあるほとんどがくだらないことなんだろうな、って思うけれど、もしかしたら、何かを祝福できるかもしれない。こんな世の中だけど、みんなに祝福あれって思えるかもしれない。


そんなことはできないのはわかるし、だからこそ現実的にできることをやっていくわけだけど、目の前にして何も言えないような現実を前にすると、神様でもなんでもいいから、そういう風な祝福を、そっとみんなに振りまいてくれたらな、って思ったりもします。


そしてそれをできるのは、政治ではなく、文学とかなんじゃないかなってね。ある本を読むことで、「あなたもどうしようなもくつらいですよね、でも自分を祝福してください」っていうようなメッセージを感じさせるようなことができるようなものがあったらすてきだなって。


そんなことを思ったりした最近です。
さて、明日も仕事だ。