『サイダー・ハウス・ルール』

poriporiguchi2006-10-29

こんばんは。今日の東京はとてもいい天気でしたね。
昨夜の雨がまるでウソみたいだ。というわけで久しぶりに駒沢公園を走りました。色づいてきた銀杏がキレイだったりするとうれしいですよね。
ボクにとって銀杏って何気なくふとした記憶と共にあったりするので、「あ、今年もこんな季節になったんだな」って思ったりするわけです。


まぁそれは置いておいて。


キリンビールを飲みながら幸せに晩飯を食べたあと、借りてきた『サイダー・ハウス・ルール』のDVDを見ました。アービングの作品がアカデミー賞をとったということで、どういう感じなんだろう?ってずっと思ってました。だって、アービングの作品ってとっつきやすいとは言えないだろうし、ましてや時間に限りがある映画という枠の中にどうやって納めるんだろう?って思ったわけです。アービングのおもしろさをどうやって映画で伝えるんだう、ってね。


とりあえず見てやろうってことで、コーヒーを入れて、部屋を暗くして、窓を開けて(いつもそうするのです)、スイッチをピコッと押して、字幕を日本語にして(情けない・・・)、はじまりはじまり・・・


とてもおもしろかったです。アービングがこうなちゃうのか、って感じだけど、やはりそれっぽいところもあるし、静かに幸せな感動をいただきました。ありがとうございます。


ちなみに「サイダーハウス」とはリンゴ農園の労働者小屋みたいなもののことです。あのミツヤサイダーでできた家のことではありません。なんかヘンデルとグレーテルみたいで楽しそうだけどね。『おにいちゃん、この家にはサイダーしかないわ・・・』・・・そこでヘンデルとグレーテルは虫歯になり、肥満になり・・・やめた・・・


『サイダーハウスルール』って要するに、その小屋にある規則のことです。それがどんな意味をもっているかは見てのお楽しみ。実はとても重い内容も含んでいるし(なんてったってアービングだし)、苦手な人はいるかもしれないけど、とってもいい作品だと思います。なんてったってトビー・マグワイアの笑顔が素晴らしい。そして子どもたちがかわいい。



『サイダー・ハウス・ルール』を見てて、「言葉ってとても大切なんだな」って思いました。もっと詳しく言うと、「定型化された言葉って、ある場合には詳しい説明よりも人の心に響くんだな」ってこと。もちろん逆にどうしようもなく陳腐にもなりうるわけだけどね。


そんなわけで、ごらんあれ。
ふわぁ〜本でも読むか・・・