『オウエンのために祈りを』

poriporiguchi2007-01-21

こんばんは。
楽しかった年末年始も終え、段々仕事も通常通りになってきました。
来週からはもっと忙しくなるんだろうし、いつまでもだらだらしているわけにもいきません。
でも、このごろほんとに寒くなってきましたよね。
ボクがいる寮は築四十年なので、もちろん断熱性とか限りなくゼロに近いわけで、朝起きるとびっくりするくらい寒いんです・・・起きてから布団出て顔洗うまでに20分以上かかるし、寝癖なおして、髪をセットするまでにも10以上かかります。ただでさえとても寒い洗面所で髪を水で濡らすのなんか、ほんとにちょっとした勇気が必要なんだから、ほんとに。


さて、年が明けて今年はなんか違うことをしようと思っているんだけど、実行はできず、土日は相変わらずランニング、飲み、読書の日々。ほんとに何しよっかな。『英会話』っていうのが今のところランキング一位なんだけど、金曜は仕事終えた開放感からだいたい四時過ぎまで酒飲みながら本読んでるから土曜の朝は起きられないし、土曜は土曜で遅くまで飲んでるから日曜の朝も起きられないし・・・
まぁそのどっちかをやめればいいわけなんけど、なかなかうまくいないんだよね。
でも四月になるまでには英会話を始めようと画策中。
『きょうはもう飲めないんだよ、明日英会話があるからね』なんて言える自分を想像しているんだけど、あんまりイメージはわきません。


それはそうとして、昨日アーヴィングの『オウエンのために祈りを』を読み終えました。
あいかわらず、長くて、ユーモアばっかりが目につくところがあって、『これはどこにいきつくんだろう』って思うような本だったけど、読み終えてみると、その全てが一つの所に収束して『あ、これだったんだな。このためにはああいう表現の仕方しかなかったんだな』って思いました。アーヴィングの本って大体そんな感じなわけだけど。


『オウエンのために祈りを』という題名のとおり、この本には「信じること」がテーマとしてあります。もっと言えば、人が生きていくなかで「信じる」とはどういうことなのか、ということを扱っているんだと思います。
人が生きていくとき、どうしようもなく逃れられない悲惨さやつらさがあって、それを救うとしたら「信じる」ことってとても大切なわけで、それによって幸せにもなりうるわけだけど、逆に「信じる」ことが限りないほどに人を損なってしまうこともあるんだよ、ってこと。


この本があらわしていることはきっと、とてもとても悲しいことで、それを正面からみつめたら読者は何も言えなくなってしまうようなことなのだろうと思うけど、「そうだよね、人が生きるって悲しいことしかないよな」っていうことをどこかで超えるために、コツコツとしたユーモア、プロットが続いてきます(読んでいるときは気づかないんだけどね)。ここまでつらく、悲しいことを前向きに表現しているところこそ、まさにアーヴィングならではといっていいところなんでしょうね。


でも、ユーモアをたくさん交えて語られる本だからこそ、悲しさを「これは悲しいことなんですよ」って言わない本だからこそ、それでも避けることのできないこと、最後に語られる状況の前には言葉を失ってしまいます。
『信じること』がもたらす悲しさを言いながらも、やはり『信じること』のちからを信じさせてくれるこの物語は、ボクにとってとても素晴らしいものでした。


少しの辛抱と粘り強ささえあれば、決して難解な本でもないので、興味がある人はだまされたと思ってトライしてください。それで、もし読んで何か感じるところがあったら、何かしらの手段でボクに教えてくれたら幸いです。


それはそうとして、この本の帯に『大人が泣ける本です』っていうキャッチコピーがついていたんだけど、つくづくイヤになりますよね。
『だからどうしたんだよ、大人が泣けるからなんなんだよ』ってね。
しかもそこに『小川洋子』とか書いてあると、『普通の職業人ならともかくさ、本を書いて、本の力を信じてるはずの作家がこんなこと言っちゃいけないんじゃないかな』って思うよね。ほんとに