芸術家になること。

poriporiguchi2007-09-30

金曜日まではあんなに暑かったのに、今週末は急に寒くなってビックリです。
昨日なんて間違えてTシャツ一枚で外出していたら大変にことになっていたはず。
寒くなるのは別にいいんだけど、しとしとと雨が降り続けているのはやはりイヤです。
なにか気持ちまで少しモヤモヤしてくるよね。


ずっと雨が降っていて走りに行けなかったので、今日はプールで2000m程泳いできました。
久しぶりだったので腕が重くなりました。週に一回は走って、一回は泳ぐというのが目標なんだけど、なかなか達成できません。
まぁ休日もっと早く起きればいいわけなのだけどね。


先週はやっと『アンナ・カレーニナ』を読了。人間という存在そのものを真っ向から扱っている本で、とてもおもしろかったのだけど、とても疲れました。毎日、本を読み終えた後には頭がぼぉっとしていたくらいに集中力を必要とする本でした。
簡単に言えば、解決し得ない矛盾を抱えながら生きていく人間の姿を描いている本だといえると思うんだけど、登場人物がみんなボコボコとお互いにぶつかり合っていきます。ちょっと左右によければだいぶ痛みが減るのにな、っていうこところでも、知っていながらまともにいろんなことにぶつかっていくわけです。


読んでいて、これはやはり日本では書かれない小説なんだろうな、って思いました。だって日本人ならきっと痛みを軽減すべく、物事に正面からぶつかってはいかないだろうし、そんなに根を詰めて生きていると、どこかで『まぁまぁ』っていう感じになるんじゃないかな。要するに日本が舞台で、登場人物が日本人だと、リアリティーがないわけです。


何はともあれ、おもしろかったので、少し時間がたったら『戦争と平和』も読んでみようと思います。『アンナ・カレーニナ』と続けて読むのは少ししんどいけど・・・


今はカート・ヴォネガットの『国のない男』を読んでいます。この人は何でこんな気の利いたことが言えるのかな、と思う。
例えばこんな言葉


思いきり親にショックを与えてやりたいけど、ゲイになるほどの勇気はないとき、せめてできそうなことといえば芸術家になることだ。これは冗談ではない。芸術では食っていけない。だが、芸術というのは、多少なりとも生きていくのを楽にしてくれる、いかにも人間らしい手段だ。上手であれ下手であれ、芸術活動に関われば魂が成長する。シャワーを浴びながら歌をうたう。ラジオに合わせて踊る。お話を語る。友人に宛てて詩を書く。どんなに下手でもかまわない。ただ、できる限りよいものをと心がけること。信じられないほどの見返りが期待できる。なにしろ、何かを創造することになるのだから。

どうですか。少し『芸術家』になりたいと思いませんか。
ヴォネガットを読むたびに、どうやったらヴォネガットのように物を見ることができるのかな、って思います。
さて、ビールを飲もう。本を読もう。