『グレート・ギャツビー』

poriporiguchi2007-10-13

みなさんこんにちは。
今は土曜の午後2時。珍しく昼にブログをつけています。


いつもはだいたい日曜の夜に、家で一人で酒を飲んで気持ちよくなって『あ、なんか書こっかな』っていう感じでブログをつけることが多いのだけど、たまに酔いがけっこう回っていると内容や文章が支離滅裂であったり、ひどく感情的であったりすることがあります。
後から読み返して『なんじゃこりゃ、恥ずかしいなぁ』と思うのだけれど、まぁ一回書いてしまったものだし、すでに読んだ人もいるんだろうから消さずにそのままにしておきます。自分への戒めにもなるしね。あんまりなってないような気もするけれど。


最近3連休が続きましたね。
とっても心躍ることだし、出勤が火曜から金曜の4日間でいいっていうのもステキなことなのだけれど、その分、次の週の5連勤がひどく長く感じられたりします。いっそのことずっと週休3日にしてしまえばいいと思うし、1日の日本人の労働時間を考えればそれもあながち不可能なことでもないのだろうけど、結局そういう怠慢な考えは問屋がおろさぬ桑名の焼き蛤ってことになるんでしょうね。
・・・つまりよく分からないけど実現は難しいってことです。


先週から読んでいた『グレート・ギャツビー』を、やっと昨夜読了しました。去年新訳が出てすぐに買ったまま読んでいなかったんだけど、う〜ん、これは素晴らしい小説ですね。村上春樹がずっと絶賛し続けているのも納得できるような気がする。
メランコリックな美しさや、抗いようのない絶望や、この本に表現されている様々な要素が見事に一つにまとまって、すべての光がぼんやりとにじんでいるような世界に読者を連れて行ってくれるのだけれど、どのページのどの文章にも、いろんな要素がスパイスとして配合を変えながら振りかけれており、様々な印象の変化となって物語が進んでいくような、ある意味では魔法のような本だと思います。


ごつごつしたところもなく、適度な長さにまとまっているとても完成された小説です。きっとフィッツジェラルドの他の誰にもこんな小説を書くことはできないでしょう。同時にこういう本を書く人は長生きしないだろうな、とも感じます。ドストエフスキートルストイのように、地道にこつこつと小説を構成し、まるですべて形の違った小石を積み上げていって大きなピラミッドを造るような本を書くのは、とても時間がかかるだろうし、とてつもなく根気がいる作業だと思うけど、それは何かしら前向きで生命力に溢れた作業だと思うのです。それは本を読んでいても感じることができます。


それと比べると『グレート・ギャツビー』は、書くことで確実に自分の生命を削っているような、急速に死に向かっていることをまざまざと感じるような、そんな本であるように思いました。まぁ勝手な意見だけど。


そんなこんなは抜きにして、とてもおもしろかったですよ、うん。
さて、どっか散歩に出かけよう。