『Life’s Like A Love Song』

こんばんは。
今週末はとつぜん台風がやってきたりして、風雨が強いわとっても寒いわで大変でしたね。
なんでこんな季節に台風が来たりするんだろう。これも地球温暖化のせいでしょうか。
最近、なんでもかんでも『地球温暖化』のせいにされる傾向があって、一部の学者さんたちがブウブウ言ってるらしいです。
確かに自分たちが一生懸命考えていることを全部『これも地球温暖化のせいだ、うん』って片付けられてしまったらたまらないですよね。
しかもこんな時代なので『地球温暖化のせいだ』っていう言説にはもっともらしい説得力があるし。
もしかしたら世界から紛争がなくならないのも『地球温暖化』のせいにされる日が来るかもしれない。『民族間で潜在的にくすぶっていた紛争の火種が、地球温暖化によって助長され、顕在化することとなった』みたいなね。


さて、秋です。
秋だからかなのかわからないけど、結婚の話をよく聞きます。今週末も先輩の結婚式の二次会に参加させていただいたし、来月には初めて友人の結婚式に出席することになっています。結婚のこととかあまり詳しくないからわからないのだけれど、やはり秋って結婚の季節なのでしょうか。そういえば明治神宮鶴岡八幡宮でも結婚式を見たなぁ。とてもおめでたいですよね。


ある人から聞いたのだけど、長く付き合っている人が必ずしも結婚するとは限らないらしいです。
正確には、結婚する人々の平均の交際年数は2年くらいらしい。だから長く付き合っている人が結婚しないってわけではないですね。
まぁそもそも長く付き合っている人たちよりはちょっと付き合って別れてしまうひとたちの方が多いのだろうし、そう考えたらそれなりに長く付き合っている人たちは相応に結婚へと至っているのかもしれないな・・・まぁそれ以上の情報はないので何とも言えないけれど。


ボクの周りで結婚している人たちも、長く付き合ってからというよりも、結婚を意識しながら付き合って、お互いが納得するタイミングで結婚する人たちが多いような気がします。人によってはとても長く付き合った人と別れた後、次に付き合った人とすんなり結婚したりするひとたちもいます。


そこでまた恋愛について考えてみるわけです(暇ですよね、ホント。もっと生産的なことを考えればいいのに)。


なんで学生時代とかから長く付き合った人たちが結婚に至らずに別れたりするのかなって。
ボクは思うのだけれど、学生の時って、自分が抱える悩みや不安や喜びに比べて世界はあまりにも広く、同時にあまりに狭くもあります。もっとわかりやすく言えば、自分がどこにいけばいいのかわからないけど、自分のその時にいる場所には何か違和感を感じる、といったところでしょうか。自分を完全に表現する場所が見つかりません。(もちろんそうじゃない人もたくさんいると思いますが)


だから狭い世界の中に広い世界を求めます。自分の抱える多くのことを伝え、共有できるような人を求めます。二人は見えない世界へとゆっくりと進みつつ、お互いが抱えているものを背負い、大きな世界へと少しずつ運んでいくのです。


でも、多くの日々が過ぎていくうちにいろいろなことが変わります。
自分たちが出会った場所を去る日が来ます。広い世界へと進んでいた二人がそれぞれに、好むと好まざるとに関わらず実際に『広い世界』と出て行くことになるのです。
そして実際の社会においては自分の持っていた夢や理想は無惨に形を変えられ、そして新しい何かを探すようないとますら与えてはくれません。社会は一面においてとても厳しく、残酷です。


ある日、ふと思います。『自分は相変わらずどこにいればいいのかよくわからない。でも自分は少なくとも広い世界の中にいる。やろうと思えば何でもできる』
つきあい始めた頃の魔法のようなつながりは失われ、いつしか自分たちは何をしていいのかわからなくなります。
嫌いじゃないし、お互いの苦しかった時期を支え合った関係でもあります。でも、今は違うところにいます。


これはフィクションです。別れたカップルにはその数だけの事情があって、それを語り尽くすことはとてもじゃないけど不可能です。
ただ、自分が求める場所としてつながり、その意味でお互いが変わっていくことを想定していなかった二人にとって、社会に出るということはある意味ではとてもつらく、残酷なことであるのかもしれません。自分たちがかつていたところに戻ることは不可能であることを知りつつ、やはりそこではぐくまれたとても緊密な関係に思いをはせるのかもしれません。


ボクたちはみな、いろいろな装置を通過して生きていきます。家庭、学校、会社、部活、サークル・・・。それが社会でもあります。そして恋愛のあり方も、恋人との関係も、少なからずその装置に規定されてしまうのだと思います。様々に変わることにいちいちショックを受けないためには、『自分たちは突然、理由もなく変わることがあるんだ』ってことを知っておくしかありません。そして、失ったもののことを思って少し立ち止ったあと、自分が感じる方向にまたゆっくりと歩き始めるしかないのです。


恋愛に関して言えば、表面的に見れば誰かのことを悪いと思うようなことも、実は誰のせいでもないのだと思います。
自分のこともわからず一生懸命生きている人にとって、他の人とどう関わっていくかもまた全く確実なことではなく、ただ、いま自分が信じているものを記憶として刻み続けることしかできないのでしょう。


矢井田瞳の『Life's Like A Love Song』を聴きながらそんなことを考えたりした日曜日。いい歌だよね、うん。
買ってきたマッカランでも飲みながらまったり本でも読むかな。