『I am God’s child』

poriporiguchi2007-11-03

久しぶりに実家に帰って、たまたま昼にテレビを見ていたら、『トリック』がやっていました。
阿部寛仲間由紀恵、演劇っぽくておもしろいドラマですよね。
そういえば、ボクが『トリック』を初めて見たのは毎日10時間受験勉強をしていた(すごいなぁ)高校3年生の頃です。


毎日、学校が終わった後、駿台予備校に行って勉強をし、そのまま青葉台駅のフィットネスクラブに行って1時間泳ぐ。
フィットネスクラブにあるサウナに入って汗を流しながら、その日に勉強した数学の理論を頭の中で思い返し、ゆっくりと思考過程を追ってみる。そして、きりが良いところで体を洗い、着替えて服を着て、マッサージ機でリラックスしながら『あいのり』(この頃は面白かったのになぁ)を見る。そんな生活でした。


全てを終えて帰宅して、寝る支度を整えて、見ていたのが『トリック』でした。はっきり言ってアホみたいな掛け合いが続くし、一見ただの謎解きの話だし(実は結構深い題材を扱ってるわけだけど)、まぁ勉強で疲れた頭をリフレッシュするにはとても良い時間になったわけです。


でもボクが『トリック』を見続けた理由は他にあります。それは番組の最後に流れたエンディングテーマ。
ピアノのイントロで始まり、女性がハスキーで広がりのある声で歌う、一見とても退廃的な歌。
その時は無名な歌手にしか過ぎなかったわけだけど、後に彼女は独自の世界でみなに認められる存在になります。


鬼束ちひろ『月光』

I am God's child
この腐敗した世界に堕とされた
How do I live on such a field?
 こんなもののために生まれたんじゃない

とても衝撃的な歌詞。そしてこの歌詞を歌いきる鬼束の声。それはある意味でふつうではありません。
この歌は、当時みなに受け入れられたのは今となっては信じられないほど独特の、そして言い換えれば人が生きていくうえで見なくてよいものを目の前に突きつけるようなチカラを持っています。



大学に合格した翌朝、ボクはこの歌を聴いたことを憶えています。あんまり普通じゃないかも知れないけど、『自分が生きている世界なんてくだらないものなんだ。そして人って結局、孤独なものなんだ』って思っていました。
いろいろなことを経験することで自分もだいぶ変わったと思います。でも、あの朝、鬼束ちひろの『月光』を聴いていた自分はきっと、まだ自分の中にあるんだろうな、って思います。『人が生きていくって、なんて不安なことんだろう、なんて孤独なことなんだろう』って。


きっと鬼束ちひろのようなひとは現実の世界ではうまくやっていけないのでしょう。
『月光』に歌われているような価値観をもって生きていくのはあまりにつらいことです。


でも、ボクは心のどこかでそのようなものを持っていないといけないよう気がします。『鬼束ちひろは退廃的で暗い』と言う人がいるけれど、ボクはそうではなく、彼女はある意味でヒューマニストだと思うのです。だからこそ、あのような歌を歌わざるを得なかったのです。生きていく上で抱えている不安、孤独から逃れられない自分を、歌というかたちで表現するしかなかったのです。それは誰のためでもない、自分のために。

とても気持ちよく晴れた秋空の下、ゆっくりと散歩しました。
久しぶりに鬼束ちひろの『月光』を聴きました。


『人って生きていくって、なんて不安なことんだろう、なんて孤独なことなんだろう』って思うと同時に『でもどこかに、だからこそ、祝福すべきものがある』と思うのです。


鬼束ちひろ『everyhome』出しましたね。良い歌です。興味がある人は聞いてみて下さいな。

少しだけ何か話しを
そしてこの路を歩いて行く
帰る家を探すためなんかじゃなくて


goin'on goin'on
何処かへさらってしまうなら
everyhome
それは小さな風のように