言葉が語られたならば

poriporiguchi2007-12-16

こんばんは。
少し前に『やっと金曜の仕事も終わったなぁ』と思っていたと思えば、いつの間にか日曜日の夜。楽しく過ごす時間は風のように過ぎゆく。まぁそんなものです。


何はともあれ、今週末はぐっと冷え込みましたね。でも考えてみれば、今年も残すところあと半月なんだよね。毎年この季節になると年末とか新年だとか、まだピンとこなくて少し不思議な気持ちになります。
でも最後の2週間、友達とも忘年会でまったり飲んだり、テレビもつけず、音楽も聴かないで一人で飲んだりしていると少しずついろんなことを思い出してきて、『今年もいろんなことがあったな、もう年末なんだな』って実感がわいてくるものなのかもしれない。一人でいろんことを考えるときに、反省すべきことはたくさんあるような気はするけれど、それはめんどくさいからやめようと思っています。反省なんかしたって今更何がかわるわけじゃないしね。


さて、昨日は両親と東京で心ゆくまで飲み食いしたので、今日は元気に9時に起きてスタバで読書、大盛況のぼろ市を横目に見つつ駒沢公園を22キロランニング、今年最後の散髪、再び床屋で勉強と読書、そしてそば屋で酒を飲みつつ食事。一人ながら活動的な時間を過ごしました。いやはや、こんなに活動的だったのはいつ以来だろうか、だいたい日曜日に9時に起きるなんてさやかな奇跡です。幸いなるかな。


夕方、スタバでコツコツと勉強をしていると、となりの席でカップルが言い争いをしていました。
勉強をするふりをして耳をすませていると、どうやら男性が仕事をやめるに際して悩みを抱えているらしく、それを女性に伝えているようです。事情はけっこう差し迫っているみたいで、男性は何気なく話そうとしながらも顔に浮かぶ不安の色は消すことができません。


『年明け早々にも仕事をやめて新しい仕事を探すんだ、だからそのことだけでも言っておこうと思ってさ』と男性は言いました。
お互い社会人として働いているのだから、自分の女々しいところは見せたくない。同情はされたくないけど、自分がいま悩んでいること、苦しんでいることをそのままわかってほしい。そんな感じの言葉でした。


少し間があって、女性が言いました。
『退職間際の休みはまとめてとった方がいいよ。少しずつとってもダラけていってしまうだけだし、その間に次の仕事もことも集中して考えればいいし』


男性はその言葉にがっかりしたようでした。自分があなたから聞きたかったのはそんなことじゃない。そんな感じの表情でした。
『そんなことは自分で決めるからいいよ。今はそんなことを考えれるような状態じゃないし。ただ自分の状況を言っておきたいと思っただけなんだよ。』
男性は少し怒っているようにも見えました。自分が求めていたのはそんな言葉じゃない。休みの取り方なんてどおでもいいだろ。なんでそんなこと言うんだよ。


自分が言いたいこと、相手が言ってほしいこと、そのかたちはいつも違います。だからもし自分の心が用意したしかくい容器を、それにぴったりのしかくい言葉で満たしても、相手の心が用意しているまるい容器をぴったり満たすことはできません。逆に相手の心が用意しているまるい容器を、それにぴったりのまるい言葉で満たしても、自分の心が用意したしかくい容器をぴったり満たすことはできません。


いっそのこと、言葉が温かい液体のようなものであったならいいのにな、と思います。どんな容器も等しく形を変えて満たすことができるものであったらな、と思うのです。


でも、どんなに注意深く言葉を選んだところで、言葉は何もかもを等しく満たすようなものにはならないでしょう。なぜなら言葉というのもは限られたものだし、いろんな決まりの上に成り立っているものだからです

こうやってブログをつけていると、自分の感じていることを納得いく言葉で語れないことにイライラすることがよくあります。でも救いがあるとしたら、こうやって書いている言葉はあとから見て直すことができる。『こうやって書けば良かったな』って思って少しでも前に進んでいくことができる。でも話す言葉は違います。一瞬一瞬、声として相手の心に届き、何かしらの影響を与えて声としての形を失います。一度語られた言葉は取り消すことはできません。『さっき言ったことは間違いだった』と言ったところで、それは何も言わなかったことにはならないのです。


あの時に、この言葉が語られたならば、と思うことがあります。それは自分が語った言葉でもあるし、人が語った言葉でもあります。
この言葉さえ語られたならば、こんなことは起きなかったかもしれない。もっと違った時間が過ぎていたかもしれない。


スタバでいろんな人の会話を聞いていると、語られる言葉のもつスリリングさを認識している人がどれだけいるのだろう、と思います。
そんなこと考えなくてもいいじゃん。ぼくたちはわかりあっている。そんなこと乗り越えることができる。そんな風に考えることもできるし、実際そうなのかもしれません。きっと多くの場合そうなのでしょう。


でもボクは言葉がすれ違うたびに、言葉を交わす二人の間で何かが少しずつ死んでいってしまっているように思います。それは少し寂しいことでもあります。
たまには一人で、或いは二人で黙っているのもいいのだろうね。自分の心にあるものを伝えることがどれだけ難しいことか少しわかるだけでも、その分、人に対して優しく、寛大になることができるかもしれない。まぁボクが言えた義理ではないのだけれど・・・


さて、月曜日をむかえる前に、ベルギービールを飲みながら本を読もう。
いま読んでいるのはジョン・バンヴィルの『海に帰る日』。
悲しく寂しけれど、静かでいい本です。表紙の絵も好きです。ではまた。