真っすぐに想うことは

poriporiguchi2008-01-14

こんばんは。
みなさま、お元気ですか。社会人のヒトは仕事始めの週だったわけですが、良いスタートが切れたかな。
わたしは年始にたくさん休んだこともあって、軽やかに年明けの週の仕事をこなすことができました。
しかも3連休だからね。願ったりかなったり。これが4連休だったらもっといいと思うのだけれど、ぜいたくは言えません。


そんな週末、正月はなんだかんだであわただしかったので、2キロの水泳、20キロのランニングで体をしっかりとしぼり、久しぶりに会う先輩の家で知らない若いひとたちとおいしい料理を食べながらおいしいお酒を飲んだり、翌日は起きてから10時間くらいずっとアーヴィングの『また会う日まで』を読んだり、とゆっくり過ごしました。やっぱり休日はこういう感じでないとね。一人で過ごす時間ってやはり大切なものです。



アーヴィングの本を読んでいると、この人にとって本を書くことはとても大切なことなんだろうな、と思います。本を書くことは自己救済だという作家は多くいるけれど、アーヴィングほど真剣に、必死に自分というものを本に託している作家はなかなかいないと思う。だからこそ、ややもすれば長くて行き場のないアーヴィングの作品を多くの人が読むことになるのでしょう。


ボクはアーヴィングの本を読んでいると、ふだんとは違う特別な時間の中で生きているような気持ちになります。良い本って人をそんな気持ちにさせるものだと思うんだよね。それがボクにとっては村上春樹であり、カズオ・イシグロであり、ポール・オースターであり、ジョン・アーヴィングであるわけです。


彼らの本を読んでいて思うことは、これは小説というかたちでなければ表現できないことなんだな、ってことです。きっと音楽でも映画も絵画でも、同じことを表現し得ないのでしょう。それは素晴らしい音楽や、映画や、絵画にも言えることなのだと思うけれど。


大学生のとき、たぶん大学二年生の時だったと思うんだけど、上野の美術館にシャガール展を見に行きました。それまでシャガールという画家のことは知っていたけれど、少しが興味があったくらいだったと思う(少し興味があったからシャガール展を見に行ったんだろうけど)。こまかいことは覚えていないけど、いろんな絵を見ながら『シャガールっていいな』って何となく思いながら、さて、次の絵を見よっかなってところにあったのが『イカルスの墜落』でした。


自分の目の前にあらわれたものが、あまりにすごくて、何にも考えられずに、何も言えずにずっとそこに立っていたことを覚えています。ただただ『こんなのってありなんだ。こんなのがあるんだな』って感じ。20歳とかそんな多感な時期だったからかもしれないけれど、それはとってもステキな体験でした。そのとき何でかわからないけど、どんなことがあってもこういう体験ができれば自分は生きていけるな、って思えたんだよね。


小説にしろ、映画にしろ、音楽にしろ、絵画にしろ、芸術って人が生きていくことをどこかでそっと支えくれると思う。そしてそれを信じれば、きっと何があっても生きていけるんだと思う。20歳のボクはそんなこと思ってました。と成人式の今日に思い出したりする。


このブログを書きながら、相変わらず鬼束の『MAGICAL WORLD』を聴いてるんだけど、『真っすぐにに想うことはなぜ寂しいの』って歌詞がとっても好きです。何で寂しいんだろうね。う〜ん、いい歌詞だ。


そんなこんなで明日はまた仕事。では、みなさまごきげんよう