小さくあること

こんばんは。何だかんだで久しぶりのブログです。
みなさんお元気でしょうか。


去年までに比べると比較的自由な時間はあるものの、帰宅したあとも毎日4時間くらい勉強しないといけないので、実はけっこう暇のない生活を送っています。寝る前に好きな本を読む1時間が自分にとって好きなことをしている唯一の時間です。
せっかく時間があるのだから今までに読みたくても読んでいなかった本を読もうと、今はカフカの『城』を読んでいます。『変身』は既に読んだので、『城』を読み終えたら『審判』を読んで、そのあとはガルシア・マルケスとかレベッカ・ブラウンとかトルストイとか読みたいな。あと最近『カラマーゾフの兄弟』を再読したいという思いに駆られています。でもまだ読んでいない本もあるしプライオリティをつけるのが難しい・・・


研修を受けて、帰宅して勉強をして、時間があったらランニングをして、少し酒を飲んで寝る、というような単調な生活を続けていて思うのだけれど、いろいろな情報から隔絶されていても人は問題なく生活できるものなんですね。なんか純粋に勉強ばかりしているとある意味で何かに少しずつ近づいていっているような感覚になります。これって走っているときに感じるものとどこか似ているかも知れない。


知らないうちに自分を取り囲んでいる溢れるほどの情報の中に、どれだけ大切なものがあるのかなって思います。
様々な情報に接することでたぶん何かとつながっているような気持ちになったり、どこかしら自分がいる位置をつかめるような気持ちになったりする。でも、そんなものがなくなってみて思うのだけれど、自分は結局どこにも行っていないし、何も変わっていない。
新しい何かに飛び込み、様々な出会いがあり、そこで努力することで変わることもあるかもしれないし、それも大切なことだと思うけど、たぶんそんなことでは変わらないものもあって、それはきっと自分を取り囲む情報の中にではなく自分の中にしかないと、ふと思ったりするんだよね。


街を歩いていたり、人と話していたり、ぼんやりとテレビを見ていたり、新聞や雑誌を読んでいたりすると、そこにある余計なものをできるだけ取り外してみたい、と最近よく思います。たぶん自分の目に見えるもの耳に聞こえるものと、それが持つサイズはだいぶ違っていて、全てのものが本当はもっともっと小さいのではないかな。そしてそれを大きくしようとすることではなく、その小ささをそのまま受け止めて、その中に何があるのかを見つめようとすることこそが、生きることを少しでも助けてくれるのだろうとね。


そういえば、引っ越して以来ずっとジムのランニングマシンで走ることが多かったのだけれど、昨日思い立って駒沢公園まで走ってみました。久しぶりに道を走ったから、最初は体の動かし方をつかむのが大変だったけど、少し慣れてくると、自分自身の体を自分に直接感じるようなステキな感覚で走ることができました。やっぱりできることならキチンと道を走った方がいいですね。
駒沢公園までの道の感じもつかんだことだし、次は15キロくらいのコースを開拓してみたいと思っています。そして少しずつ距離を伸ばして、今年こそは東京マラソンにでよう、と静かに心に誓いました。・・・ほんとかな。


気がつくと来週、26歳になってしまうらしいんだけど、この歳になると誕生日なんて唯々時間の流れを感じる一つの指標くらいでしかないような。さすがに30歳になるときには何かしら感じることもあるのだろうけど。う〜んでも30歳にはなりたくないな、何となく・・・まぁでもこんなこと言っても仕方ないんだけどね。


そいえば、明日から三連休ですね。早く梅雨も明けてほしいです。では、みなさんステキな週末を。ポニョはやくみたいね。音楽が耳についてはなれない・・・