消えてしまいそうな時は

poriporiguchi2008-11-21

こんばんは。今週も金曜日がやってきましたね。
ぼくはと言えば、論文執筆も大詰めに近づき、今日も午前中から結論への論証についてゆっくりと考えていたりしました。こんな論文は別に誰に読まれるわけでもないのだけれど、少なくとも自分の思いを何かしらのかたちにしていくってよいものです。いろんなものが意味もなく通り過ぎていく毎日の生活の中で、少しずつでもどこかに向かって進んでいるように感じることができます。


さて、今夜はある歌についてお話。
一ヶ月ほど前でしょうか。良く晴れた休日に陽の光の差しこむ部屋で一人で遅めの昼食をとっていました。テレビをつけていたのですが休日の昼下がりにしては騒々しい番組だったので何気なくチャンネルを変えると、NHK教育で全国学校音楽コンクールの全国大会がやっていました。表彰なども全て終えた後だったのだと思います、ステージに課題曲を作ったアンジェラ・アキが出てくるところでした。

コンクールの課題曲になっていた『手紙』はその前から『みんなの歌』で聴いたことがあって、『なんだかいい歌だな』と思っていました。だからかも知れません、ぼくはチャンネルを変えずにいました。何もなければわざわざ中学生の合唱とか見たりしないですよね。

ステージの上のピアノの前に座ったアンジェラ・アキはホールにいる参加学校の生徒に少し語りかけ、そして『手紙』を歌い始めました。おそらく彼女はそこにいる生徒たちに、そこに来ることができなかったけれど全国大会を目指してその歌を合唱した生徒たちに、そしてその時テレビを通じてそれを見ている15歳の生徒たちに向けて、精一杯の思いを込めて歌ったのでしょう。その歌声は『みんなの歌』で聴いたものよりもはるかに心を揺さぶるものでした。ホールにいる生徒たちは彼女の姿に目をこらし、その歌声に聞き入っていました。その中には泣いている生徒もいました。その歌声が運んでくるものを真っ直ぐに受け止めて涙を流していました。

そしてアンジェラ・アキが歌い終えた後、コンクール全体の最後のプログラムとして、そこに参加している全ての生徒による『手紙』の合唱がありました。彼らや彼女らの声は一人一人の思いを抱えながら、一つの純粋な音楽となってホールに響いていきました。15歳の子どもたちが15歳の子どもたちの歌を歌っていました。子どもだけではなく、そこにいた全ての人が15歳の時のことを思って歌っていました。ぼくも自分が15歳だったときを思い出しながらその歌を聴いていました。そこには大げさなものは少しもなく、虚勢も思惑もありませんでした。

こんな嘘やデタラメだらけの世界にあって、こうやって良い歌を涙を流しながらみんなで歌えるなんてステキなことだな、と素直に思いました。リアリティーのないフィクションの中で、愛とか恋とか夢とか本来は個人的な思いが、ビジネスライクに乱雑に商品化されステレオタイプに消費され続けられるよう時にあって、そういう光景を見てぼくはささやかに幸せな気持ちになり、少し涙を流しました。

今 負けそうで 泣きそうで 消えてしまいそうな僕は
誰の言葉を信じ歩けばいいの?


ひとつしかないこの胸が 何度もばらばらに割れて
苦しい中で今を生きている


今 負けないで 泣かないで 消えてしまいそうな時は
自分の声を信じ歩けばいいの


大人の僕も傷ついて 眠れない夜もあるけど
苦くて甘い今を生きている


そうだよな、消えてしまいそうな時は自分の声を信じるしかないんだよな、って思います。
もちろん自分の声が簡単に聞こえてくるわけではないし、それを一人で待ち続けるのは苦しいことだけど、静寂の中にかすかに浮かんでくるその声に静かに耳を澄まし、それを信じることでしか、消えていきそうな自分を感じ続けることはできないんじゃないかな。
自分の声はどこかから自然とふってくるものではありません。いつでもどこででも静かに耳を澄ましていないと周りの雑音にかき消されてしまいます。

この歌は15歳の自分への思いであるとともに、大人になった自分への思いであるとも思うのです。
コンクールでのアンジェラ・アキの『手紙』、全体合唱の『手紙』はYouTubeでも見ることができるので興味がある人は見てみてくださいね。とてもいいですよ、ほんとにね。

今週になってますます冷え込んできましたね。ぼくはこうやって相変わらず一人でPCに向かい、静かな部屋でグレン・グールドゴールドベルク変奏曲を聴きながらパタパタとブログをつけているわけだけど、金曜の夜と言うだけで少し幸せな気持ちになります。まぁもう少ししたらいつものようにワインを飲み本を読み始めるわけだけどね。

週末は気持ちよく晴れるみたいですね。ではみなさん良い週末を。