小さな半径が描く円


こんばんは。ふと気がつくと、こうやってブログを書くのも一ヶ月以上振りです。
別にさぼっていたわけではないのだけれど、ちょっと東京にいなかったりして書こうにも書けなかったんだよね。まぁそういうときがあってもいいのではないでしょうか、と独り言のように言ってみる。

さて、ちょっと久しぶりなので大したことは書かずに軽くさらっと流してみることにしましょう。
先月、わけあって九州に行く機会があり、そのついでに熊本、高千穂、黒川温泉と旅行してきました。
友人の運転する車で旅をしたんだけど、通過しただけのところも入れると九州の鹿児島県以外を全て回ったことになります。とは言え、ぼくは車を運転しないので(免許は持っているけど免許とった日時以来運転はしていない)コーヒーを飲んでる運転者を横目に昼飯からビールを飲んだり、車の中で眠くなったら遠慮もなく寝たりして気ままな時間を過ごしていました。

高千穂も黒川温泉も、何か九州に用がないと行くこともないのだろうけど(地味に遠いし、けっこう交通費もバカにならないし)、とてもステキなところでした。高千穂は最近のスピリチュアル系のブームのせいか、ペチャクチャとうるさいオジサンとオバサンのツアー客がけっこういたけれど、それを割り引いても静かで何か特別なものを感じることのできるところだったし、黒川温泉もシンプルで風情のある温泉街でゆっくりできるところでした。精神的にも肉体的にも力が抜けて余計なものが洗い流された感じ。

目的地から目的地への移動中にふと車の窓の外を見てみると、当たり前のことだけど、そこにはいつもと変わらない光景があります。そこに住む人にとっては当たり前のこと。ぼくが見てもそこには特別なことは何もありません。ぼんやりと移りゆく景色に目をやりながら『ここに自分はいないんだな』って思います。それは、そこが観光地でツーリズムに支配されているとかそういう話ではなくて、そのままの意味で自分はそこには属していないと感じるのです。

旅に来ているのだから当たり前と言えば当たり前なのだけど、じゃあ、自分が属していない『そこ』をどこまで普段の生活の場に近づけたら『そこ』ではなくなるのか、と考えてみたりします。『そこ』と『そこ』ではないところの境界はどこにあるんだろうって。

実はそういうのってとても曖昧なんですよね。自分の住んでる街とか知っているつもりでいるけど、実はそんなことはなくて、自分の知らないところで自分の知らない人たちが特別なこともなく暮らしているわけです。そしてその殆どをきっとぼくは知ることはないでしょう。

そして、それって、ほかのことにも言えると思うのです。家族、恋人、学校、会社、国、世界・・・知ったように話しているもののどれだけを自分は知っているのだろう。どれだけ近づければ本当に自分の知っているものになるのだろう。おそらく知らないことを前にすれば知っていることなど小さな砂の一粒のかけらくらいのものなんじゃないかな。自分の語っているものはとても小さな半径が描く円の中にしかないのではないのかな。

でも、だからといって自分がどこまで行っても殆どを知り得ないと落胆することはない。知り得ないこと、近いと思っていることがとても遠いことは、逆に考えれば救いにだってなっているのだからね。

旅をしていると、知らず知らずのうちにいろんな考えが相対化されていきます。世界って何だ?日本って何だ?自分はどこにいるんだ?ってね。もしかしたらそんな感覚が好きだから旅をするのかも知れませんね。まぁみんながどうかはわからないけれど(笑)

結局またこむずかしい話になってしまった・・・。まぁこれも性格なので仕方がない。要するに高千穂と黒川温泉はいいところですってことです、きっと。
さてさて社会人のみなさん、明日働けば水曜は休みです。仕事の後のビールの喉越しのような小さな喜びを胸に抱きつつ、明日もまたがんばって働きましょう。ではまた。

写真は高千穂峡。ボート漕ぎながら撮りました。