愛の行為


こんばんは。みなさまいかがお過ごしでしょうか。
4月に入っても寒い日が続いたけど、やっと暖かくなってきて、今週末は花見本番といった陽気ですね。昨日は夜遅くまでビールを飲みながら本を読み、今日は昼近くまでゆっくり休んだ後、目黒川沿いを散歩してきました。


先週はあまり咲いていなかった桜が道なりに咲き誇っていて、そこを歩く人たちがとても幸せそうに青い空に浮かぶ桜の花を見上げていました。
Chick Corea & 上原ひろみのアルバム『Duet』の『The Fool On The Hill』を聴きながらそんな光景の中を歩いているだけで、幸せな気持ちになるものだよね。


春といえば別れの季節、そして出会いの季節。ぼくの会社でも今週は新入社員が初々しい感じで働いていました。3年前に自分もこんな感じで会社に入ってきたかと思うと、時の流れの早さをしみじみと感じるよね、ほんと。別にそれが悪いことだとは思わないけれど。


最近は、責任が重いからこそ考えることも多い仕事に取り組んでいて、けっこうストレスフルなことも多いのだけれど、そんな中で思うのは、人々の営みの中心にあるのは、人がそれぞれ持っている固有の思いなのだろうな、ということです。


仕事においてはそれぞれ立場の違いがあって、例えば組織を代表した時に自分でも理不尽に思われることを言わないといけないこともある。そういう様々な立場の狭間にありながら、結論として表面に現れてくる意見の一つ一つの中に、ぼくはそこに含まれた数多くの人の固有の声を聴くことができます。


社会人になるとき、学生時代に少なからずあった人間関係のもつれやその原因となる人々の思いは、全体的な最適を目指す仕事の中においてとても少なくなるものだし、それが社会に出るということなんだろうな、と思っていたのだけれど、社会人になって4年目を迎え、折りにふれてやはりそんなこともないんだな、と思う日々が続いています。


結局、仕事にしろ何にしろ、人の営みの中心にあるのは一人一人の人間が持つ個性や思いに過ぎないのでしょう。ただ仕事がその他の営みと違うとしたら、それが直截にではなく、会社や社会の利益といった共通の目標を追求するという限定された大きなルールの中で、知らず知らずのうちに現れてくるというところにあるのかもしれません。


それだからこそ、奔放な固有性が交差するプライベートな生活にはない枠の中で、一定のカタチをとった人の固有性を感じることができるのだと思います。言い換えれば、仕事というのは定められたルールの中で、目に見えない誰かや何かに向かって、自分というものを表現する行為であるのだと思います。自分の感じることのできる範囲を超え、もっと広い世界に向かって自分そのものを働きかけるというアクションなのだろうとね。


村上春樹著『東京奇譚集』の『日々移動する腎臓のかたちをした石』という短編の中で、ある女性が言います。
『職業というのは本来、愛の行為であるべきなんです。便宜的な結婚のようなものじゃなく』

『「何よりも素晴らしいのは、そこにいると、自分という人間が変化を遂げることです」と彼女はインタビュアーに語った。「というか、変化を遂げないことには生き延びていけないのです。高い場所に出ると、そこいるのはただ私と風だけです。ほかには何もありません。風が私を包み、私を揺さぶります。風が私というものを理解します。同時に、私は風を理解します。そして私たちはお互いを受け入れ、ともに生きていくことに決めるのです。私と風だけ―ほかのものが入りこむ余地はありません。私が好きなのはそういう瞬間です。」』


職業を『愛の行為』にできるかどうかは、その人の意識の持ち方に係っているのだと思います。生活の術としてただ無為に過ごしゆくのではなく、自分を揺さぶり、変化を遂げさせるものとして関われば、どんな仕事であれ自分にとっての愛の行為になり得るのではないかと思うのです。


あるいは自分の就いている職業が『愛の行為』にはなり得ないとわかった時には、ほかの職業を求めることもできるのでしょう。こんな時勢にあって職業を変えてまで自分を不安定な位置に置くことの困難はわかるけれど、逆に言えば、こんな時勢だからこそ、その姿勢を忘れずにいたいよな、と思います。


職業というのは本来、愛の行為であるべきなんです。便宜的な結婚のようなものじゃなく。


最近は前のブログに書いたようにジョン・アーヴィングの『ホテル・ニューハンプシャー』を読んでいます。前に読んだときは内容の重さに結構参ってしまったところもあったけれど、今回はその重さも素直に自分に引き受けつつ、前に読み進むことができています。毎日の生活にあまり感じることはできないけれど、そういう瞬間に、自分も少しずつ何かに揺さぶられ、変化を遂げているのだな、と感じることができます。


そして、そのような感覚を自分に持たしてくれるこの本は、アーヴィングの『愛の行為』として書かれたものであると感じることができます。自分もいつか、自分の職業を『愛の行為』であると疑いもなく言えるといいな、と思う今日この頃です。


・・・と、まぁ長くなってしまいました。ここまで読んでくださった方に感謝しつつ、グレゴリオ聖歌を静かに聴きながら『ホテル・ニューハンプシャー』を読みたいと思います。ではまた。ごきげんよう


写真は目黒川に咲いていた桜。いい天気です。