死なないでいる理由

poriporiguchi2009-07-08

こんばんは。
何だかんだでいつの間にか前の更新から2ヶ月ほど経ってしまいましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
特に何があったわけじゃないし、何も書くことがなかったというわけじゃないのだけれど、ふと気がつくと7月に入っていました。
そんな間に東京は梅雨に入り、どんよりとした曇り空にシトシトと雨がふる毎日。やはり、これほど精神衛生に悪い影響を与える天候もないだろうね。かつてを思い出せば、雨がいつまでともなくふり続く中、部屋でじっと何かを思い悩んでいたのは、ほとんど梅雨の時期だったように思います。こんな今もどこかで誰かが部屋の中でどこにも行きようもない思いにふけっているのかも知れない、とふと思ってみたり。
まぁそんなことを言っている僕は、いつもどおりクーラーのきいた部屋で涼みなら、ぼんやりと何となく生きています。


仕事の話をしても仕方がないので(そして普通の人にとってわかりやすい指標ではないと思うので)、プライベートの話(といえば相変わらず本の話)をすると、2か月前に更新したときから、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読み、鷲田清一の『死なないでいる理由』を読み、村上春樹の『1Q84』を読み、ティム・オブライエンの『本当の戦争の話をしよう』と『世界のすべての7月』を読み、今はドストエフスキーの『悪霊』を読んでいます。こうやって文字にしてみると、仕事をしながらということを考えればそこそこ本を読んでいるんだな、と思って自分を励ましてみたり。
映画では最近で言えば恵比寿ガーデンシネマで『扉をたたく人』を見て、DVDで『潜水服は蝶の夢を見る』を見ました。


読んだ本に関して言えばすべておもしろかったけれど、やはり『1Q84』は特別な思いを持って読みました。
物語の中心にあるのはお互いに惹かれ合う若い男女の話。その者の持つ誇らしい何かではなく、自分の過去が欠落するが故に惹かれ合っていく姿を短編小説を思わせるような丹念な人物描写を通して語っていきます。


村上春樹の作品を長編から短編までそれなりに読んでいる人であれば、そこかしこに今までの作品の風景やモチーフを思った人もいるでしょう。村上春樹が『総合小説』を目指していると言ったように、この小説には少なからず彼自身の世界観の総体のようなものが現れているように思います。まだ読んでいない人もいると思うので内容にはふれないけれど、様々な考え方はあれ、紛れもなく『物語の力』を感じることのできる作品です。ふつうに読んでもおもしろい作品なので、まだ読んでない人はぜひ。


こうやって読んだ本や映画について書いていると、すべてのおもしろかった本や映画について書きたくなってしまうのだけど、それだと永遠と記述が続くことになってしまうので、もう一つだけ。鷲田清一の『死なないでいる理由』。


これは題名のとおり、人が生きることについて書かれた本です。社会の発展と共に、人は生きていく上で重要なこと(作る、食べる、排泄する、ケアする、死ぬ等)をシステムに委託するようになり、或いは構造的に不可視的なものとすることで、生きること自体を外部化するようになってきた、と鷲田は言います。世間で言われるところの(人々が行っている)『生活』とは、様々なものの外部化の末に残った一部でしかなく、その意味でかつてほとんどの『生』を家庭で行ってきた時代のように『普通に生きること』は困難になってきており、『普通に生きること』ができない現代の人々はそれのみでは存在し得ない自己のオリジナリティーや生きる意味を求めて悩み苦しんでいる、と。(もっといろいろ書いているけど、とても簡単に言えばこんな感じかな)


きっとそのとおりなんだろうな、と思います。「自分のプライベートを大切に」なんていうけれど、人が生きるということの中心には、本来、持てる時間や金を思う存分自分の趣味に使うことではなく、自分が生きていく上で重要なことに目を向け、それを実践していくことがあるのでしょう。職業と人のアイデンティティーとの関わりについても、職業を通じて自分の夢を実践していくといった積極的な意味ではなく、人間が外部化した『生きること』をシステムとして受容している『仕事』に関わることなくして、人が自己の生を実感することが難しくなってきているからこそ、仕事は金を稼ぐ以上の意味を持つものとして、自己と他者のコミュニケーションの場として、人の『生』の大きな部分を占めうるものなのだろうと思います。


そして鷲田は『恋愛』についてこう言います。他者との関係においても、絶えず自己のアイデンティティーや生きる意味といったものに悩み続ける人が、特別で唯一な他者であるパートナーに求めることは、その関係においてだけは『普通に生きられる』という状況なのだと。その人とともにいれば、アイデンティティーや意味などとは違うところで受け入れられ、認められるという関係なのだと。キザな言い方かもしれないけれど、愛といった日本人(ぼくだけかもしれないけど)にはなじみにくい言葉も、そう言われれば何だか頷ける気がします。


・・・とまぁ、久しぶりだったから長くなってしまいました。
潜水服は蝶の夢を見る』もとてもおもしろかったけど、ここらへんにしときます。これもまた違った意味で、人が生きるということについての素晴らしい映画です。興味がある人は自分で見てください(笑)
憂鬱な天気が続きますが、あと数週間後にはきっと留保なく晴れ渡った夏の空が東京にも広がっているはず!!
とりあえずは3連休を目指してがんばっていきましょう。そして3連休が終わったら夏休みを目指してね。
さて、キンキンに冷えたキリンの無濾過ビールを飲みながら『悪霊』を読み進めることにしよう。ではまた。