きっと、そこでしかできない

 それまではあまり熱心な小説の読み手ではなかったぼくが、本を読むきっかけになったときのことを今でも覚えています。
 中学三年生の冬のある夜、ぼくは寝支度をすべて整えて布団に入ろうとしていました。特別なことは何もない、いつもと同じ一日の終わり、でも一つ違っていたのは、布団に入る前にふと本棚にあった一冊の本を手に取ったということ。
 どうしようもできない悩みとか、やりきれない思いとかを抱えていたわけでもありません。ただ、どこかで同じような毎日の中に、何か物質的な指標がほしかったのだと思います。朝起きて学校に行き、授業を受けて部活動を行い、帰宅して宿題を済ませて寝る。そのくり返しがどこまでも続いていくように思えた生活を区切っていく、わかりやすい目盛りのようなものをセットしたかったのでしょう。
 その本は程よいサイズの章立てで、かつ全体としては長いものでなければなりませんでした。章のサイズは目盛りの明確さを、本の厚さはとにかく見通しうる未来を、何かしらの基準を持って進んでいけることを約束してくれるように思えたからです。
 ぼくはそのとおりの本を選び、一日の終わりに1章ずつ読んでいきました。始めはルーティーンとして始めたものが、その小説世界の魅力的な不可思議さに引き込まれていくにつれて読む分量が増えていき、やがて現実世界の物差しという役割を超えて現実世界とパラレルに存在する想像の世界としてぼくの生活に定着しました。
 その生活は今に至るまで変わっていないのだけど、もし、そのとき手に取った本が違うものであったなら、今の自分もまた全く違った人格であったかもしれないと折にふれて思います。そんな経緯もあってか、今でも村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』のページを開くたびに、ぼくは心の中の小さな部屋のとびらをそっとあけたような気持ちになります。

 
 5年ぶりに訪れたアメリカからの帰りの飛行機のエコノミーシートで、ガルシア・マルケスの『生きて語り伝える』を読むのに疲れ、殆どの乗客が眠りにつき静まりかえった機内をぼぅっと眺めながらそんなことを考えていました。
 今こうやって飛行機の中で、5本目の機内サービスのビールを飲みながら、黙々と本を読み続けているのも、あの日の夜にふと本を手に取ったから。
 中学生がたいした考えもなく思いつきみたいにして始めたことが、10年以上経って生活に深く染みつき、ただでさえ少ない睡眠時間を削ってまで深夜に本を読み続けるという、人によっては不可解に思われる習慣につながっているなんて不思議なものだなとふと思ったのです。

 
 アメリカに行ったのは、今年の夏から2年間留学する大学院のイベントに参加するためでした。
 ぼくにとって、新しい環境で生活を始めるというのはあまりあることではありません。どちらが良いというわけではないけれど、ぼくは『とりあえずやってみる』よりも『立ち止まってじっと考えてみる』ことが多い人間です。人格の少なくない部分を小説を読むことによって形成してきたせいか、実際に経験してみるよりも、小説や映画や絵画といった媒体をとおし、自分の想像力によって経験するものをよりリアルに感じるようになったからだと思います。その結果、新しい環境に身を置く際には、自分に対して何かしらの理由を求めるようになりました。
 要するに、新しいことをすることを目的としては行動を起こしたりはしないタイプなのです。人によってはめんどくさいやつだと思うかもしれないけど、性格がひねくれているので仕方ありません。


 そう考えると、今夏からの留学はぼくにとって大きな意味を持つことになります。
 イベントのためにアメリカに滞在したのはわずか4日間でしたが、東京とは全く違う気候の中で見知らぬ街を見てまわったり、同じく秋から入学する外国人とたどたどしい英語で話したり、静かな部屋の窓からさす陽光の中でテレビもつけずにぼぅっとしたりしているうちに、少なくともここにいる2年の間に自分自身で決めた何かを始めないといけない、とぼんやりと思いました。
 見通しうる将来において、2年もの間、(もちろん大学院での勉強はあるけど)これほど強制されるもののない中で、自分が持つ何かを追求できる機会はないだろう。だからこそ、ここでできなければ、おそらくその後の人生においてもきっとできることはない。この2年間ですべきことは、これからの自分の人生を構成していく、様々なサイズの何かを始めること、リズムを保ちながらそれらを自分のペースに乗せていくこと。


 さて、最後になりましたが、ぼくは今年の夏(おそらく7月下旬)から2年間、アメリカのカリフォルニア州立大学サンディエゴ校(UCSD)の大学院に留学し、IR/PS(国際関係及び環太平洋地域研究)を学ぶことになりました。
 サンディエゴはアメリカ西海岸の海沿い、メキシコとの国境の近くにあり、澄んだ青空の下に小さい丘が連なる住みやすい街です。そしてぼくが留学するUCSDのIR/PSのプログラムは、日本が今後さらに関係性を深めていくべきアジアを含む環太平洋地域にフォーカスし、政治、安全保障、歴史、経済、環境、ビジネスといった多様な面からアプローチしていくというユニークなものです。
 渡米まであと3ヶ月くらいありますが、その後は基本的に2年間帰国できないので、その前にぜひみなさんとお酒でも飲みたいと思っています。そして、もし機会があったら気軽に遊びに来てください。テスト期間とか勉強が忙しい期間でなければ、よろこんでサンディエゴを案内しますので。


写真:サンディエゴの海辺。もう少しで夕暮れです。