Turn


IRPSのクラスメートにマリコという日本人の女の子がいる。
小柄で黒髪のショートカット、服装は特におしゃれという感じでもないのだけれど、いつもさっぱりとした感じ。学校で会うと、遠くからでも手を振りながら『先輩!』と声をかけてくる。朝早くからとても元気で、あまり朝に強くないぼくは彼女が授業などについていろいろと話したりしているのをふむふむと聞いているだけ。『いつも朝から元気だよね』と言うと、『そう、先輩ももっと元気を出さないと』と笑いながらぼくの肩をポンとたたく。


彼女に最初に会ったのはPREPの英語の授業。となりに大学時代の学部長に似た女の子がいるな、と思っていたら、『もしかして日本から来ている方ですか』と彼女から声をかけてきた。どうやらぼくをほかの日本人学生と勘違いして話かけたみたいだったのだけれど、それがきっかけになって、だんだんと会話を交わすようになっていった。

初めて会った時からマリコはぼくのことを『先輩』と呼び続けている。最初は23歳の女の子に『先輩』と呼ばれることに少し違和感を覚えたのだけれど、今となっては慣れてしまって特に何も感じない。おそらく彼女は中学生が上級生を呼ぶようにして『先輩』と呼んでいるだけなのだろう。ただ、彼女はおそらく、ほとんどの23歳の日本人の女の子が28歳の男性のことを『先輩』とは呼ばないことを知らない。マリコは日本で生まれて中学まで日本の学校に通い、高校からは中国の学校に通い、今年、北京大学を卒業してUCSDに来ている。

そのせいもあってか、『先輩』も含めて、マリコの日本語は注意深く聞くと少し変わっている。彼女は中国語、日本語、英語の3か国語を話すことができるのだけど、本人が言うには一番得意なのは中国語、次が日本語、そして英語。もちろん英語もぼくなんかよりはずっと上手く話すことができる。日本語より中国語が得意なのは、高校からずっと中国にいたからということもあるのだろうけど、もっと大きな理由がある。彼女の両親は中国人で、彼女は小さいころから家庭では中国語を話して育ってきたのだ。どういう過程で彼女が日本国籍を選ぶことにしたのかはよくわからない。そこには複雑な理由があるのかもしれない、と思う。あるいは特にそういうこともなく、とても明確でシンプルな理由で、誰にでも気軽に話せることなのかもしれない。ただ、ぼくは、少なくとも今はまだ、それについて聞くには早すぎるような気がしている。

こういう言い方は偉そうに聞こえてしまうかもしれないけど、マリコはとても頭がいい。授業について話しているときも、一緒にスタディーグループを組んだ時も、その端々に『この子は賢いんだろうな』と思わせるものがある。そして、ただ頭がいいだけでなく、物事も進め方もとても的確で要を得ている。はっきり言ってなかなかいないタイプの女の子だと思う。おそらく、就職活動をしたら、ほとんどの会社が彼女を喜んで迎え入れるだろう。


PREPが終わる少し前に、日本人の友人夫妻の家で、スタディーグループの打ち上げのようなことをしているとき、彼女は静かに自分の悩みについてその場にいた友人たちに話し始めた。将来どのような仕事に就くべきだと思うか、どの国で働くべきだと思うか、その場合に両親の国籍や自分の生い立ちはデメリットになると思うか。友人はしっかりと考えた上で、とてもプラクティカルで有益なアドバイスをしていたけれど、ぼくはあまりたいしたことを言うことができなかった。なぜなら、うまく想像がつかないその状況の中に自分を置いて考えることができなかったからだ。両親が中国人で、自分が日本人だということ、アメリカに留学して、将来はアメリカか日本で就職したいと思っていること、その一つ一つがぼくにとってはすんなりと理解できるものではない。おそらく考えてもわからないことがたくさん残るだろう。

その後もマリコはぼくの友人に就職についての相談をしている。彼はとても知識が豊富で、彼のアドバイスはぼくが聞いていてもとても為になる。彼女もそれを踏まえて自分なりにいろいろ考えているようだ。アメリカの就職活動は実質的にM1の10月から始まっているようで、授業にインターンの説明会にと忙しくしていた彼女だったが、最近、ぼくには彼女が他の何かについて悩んでいるように見える。彼女自身もはっきりとはわかっていないかもしれないし、他人であるぼくがわかるわけもないのだけれど、それはおそらく彼女のアイデンティティーに関することなのだろう、と何となく思う。何気ない会話をするなかにそれを感じる。普段の彼女はもちろん悩みなんかないようにふるまっている。でも、おそらく彼女は悩んでいる。

マリコの悩みを解決できるのはマリコしかいない。日本の業界事情や就職に関するアドバイスをすることができても、彼女が何に基づいてそれを決定していくかについて、有効なアドバイスをできる日本人はほとんどいないだろう。そして、大学院を卒業して、就職してからもなお、それがポジティブに働くかネガティブに働くかの違いはあろうとも、彼女が抱えているものがどこかの段階で自然にすっと消えてなくなることはないだろう。結局のところ、人が生きていくというのはそういうことなのだ。

そして、そんなマリコの姿を見るにつけ、いくら英語ができたって、勉強ができたって、そんなものは生きていく上での『おまけ』みたいなものにすぎないのだろうと思う。自分を表現するツールをいくら持ったところで、表現すべきものを直視しない限りはどこにもいけないし、それに向き合って初めて、どこまでも広がる暗闇のなかに小さな一歩を踏み出すことができる。そして、自分の足音に耳を澄まし、ここではないどこかに歩き出すことができる。


ぼくの好きなTravisというバンドの『Turn』という曲の歌詞に、次のような一節がある。


I want to sing To sing my song (自分の歌を歌いたいんだ)
I want to live in a world where I belong (自分の属する世界で生きていたいんだ)
I want to live I will survive (生きていきたいんだ 生き抜いていく)
And I believe that it won't be very long (きっといつかそれができるはず)

If we turn, turn, turn, turn, turn (もがいて もがいて もがいているうちに)
turn, turn, turn, turn, turn (きっと何かつかめるだろう)
If we turn, turn, turn, turn, turn (もがき続けるなかで ぼくたちは何かを学ぶのだろう)
Then we might learn


自分の属する世界がまだどこだかわからないかもしれないマリコよりもTravisのほうが少し有利なところにいるのかもしれないけど、もがき続けるなかで何かをつかみ、マリコを含めたぼくたちが何かを学ぶことができたらいいな、と心から願っている。どうやってTurnするかを学ぶことを、そして自分なりにうまくTurnできるようになることを、人は大人になると言うのかもしれない。

ちょっと休憩


こんにちは。日本もすっかり秋らしい気候になってきたようですね。
今年のサンディエゴは90年に1回の冷夏だということで、8月から9月にかけては朝晩けっこう冷える日々が続いたのだけれど、季節の変わり目の今週になって、日中の気温がたびたび30℃を超えています。知り合いから聞いたところによると、毎年この時期の一週間は、アリゾナからの季節風が吹きこんで、気温が上がるのだとのこと。そして、その後は少し秋らしくなっていくのだそうです。サンディエゴの秋らしさってどんなものなのか、まだまだ想像がつかないのだけれど。


さて、8月に始まったPREPも9月の中旬で終り、先週までの約2週間は大学のプログラムも宿題もないオフの期間でした。さっそくアメリカの他の土地に旅行にいっても良かったのだけど、日本からサンディエゴを訪れる人があったことと、PREPの授業に追われて、ぼく自身まだ全然サンディエゴのことを知らない、ということで、そのうち1週間はサンディエゴで遊びつくすことにしました。


計画を立てるにあたってIRPSの友達に聞いてみたのだけれど、みんな言うことがまちまち、しかもみんなの好みが若い(青臭い…)ような気がしたので、IPRS卒業生で今年29歳(既婚)と年齢も近くグルメ通のアントニオにいろいろと助けてもらって取捨選択していきました。その結果できあがったプランは以下のとおり。

  • La Jolla Shores(IRPSからほど近い海岸)
  • La Jolla Cross(小高い丘の上にある朝鮮戦争の記念碑。La Jolla Shoresに沈む夕日とサンディエゴが一望できる)
  • La Lolla Cove(怠け者のアザラシがいる海岸)
  • San Diego Wild Animal Zoo(敷地が広いので軽いハイキング。内陸なので暑い)
  • MITSUWA, NIJIYA(日本スーパー。雰囲気から何からほんとに日本)
  • Carlsbad(ショッピングモール。そんなに大きくはないけど、何しろ安い)
  • Carlton Oaks(ゴルフコース。質の高いコースなのにクーポンを使えば35$で回れる)
  • Dinner Cruise(サンディエゴ湾を周遊)

このほかにもアントニオ情報を基にしてハンバーガーやメキシコ料理の店もあらかじめチェック。事前のリサーチのかいがあって、楽しくサンディエゴで遊びく尽くすことができました。ゴルフのスコアはコース4回目にして111と着実にベストを更新し続けているし(ほんとは110を切りたかった…)、ディナークルーズサイパン旅行のときと違ってとてもシックで落ち着いた感じで心地よかったしね。


日本にいたときは、旅行と言っても昼からそばやでビールを飲んで、メインは夜の居酒屋…ということが多かったぼくにとってはとても新しい休日の過ごし方。でも、サンディエゴまで来て昼からビール飲んでぼぉっとしているのもあんまりだし、ナイトライフは家で過ごすことが多いこちらの生活では自然とこういう感じになります。2年後、日本に帰ってからどうなるんだろうか…まぁそのときになってみないとわからないね。ちなみにアントニオによると、何かにつけキチンとプランを立ててスケジュールを組んで予約をしておかないと気がすまないような人のことをType A、何とかなるだろうと行き当たりばったりに進んでいくような人のことをType Bというらしいです。プラン作成を助けてくれることからもわかるようにアントニオは完全なType A、ぼくもたぶんType A、さて、みなさんはどちらでしょう?


そんなこんなで楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、先週からは秋学期の授業が始まっています。明日からは本格的な講義が始まって、リーディングやレポート作成に追われる日々になりそう。だけど、本来の目的はそこにあるし、もともと勉強はそんなに嫌いじゃないので、ぼちぼちがんばっていきたいと思います。サンディエゴ満喫の日々のほかにも、クラスメートと話したりするなかでいろいろと感じることもあったのだけれど、それはキチンと整理してまた今度書くことにします。ではでは、みなさんごきげんよう


写真は日没直後のLa Jolla Shores。たまに思い立って夕焼けを見に行きます。ぼくが住んでいるアパートから車で10分くらい。

ふんわりとのしかかる


こんにちは。ぼくのPCのyahooマイページは、未だにその日の東京の天気を教えてくれるのだけど、東京の暑さもだんだん和らいできたようですね。こちらにきて購入したHTCで簡単にサンディエゴの天気と気温がわかるので、たまに東京とくらべて楽しんでいます。サンディエゴの気候が過ごしやすいことに間違いはないのだけど、日本人としては季節の移り変わりがないのが少し寂しいような気もする。でもまぁそれも2年間ならいい機会だとは思うけど。

やはり住んでいる土地の気候によって人の生活や思考はだいぶ変わってくるんじゃないかな。平安貴族の文学なんかサンディエゴでは決して生まれなかっただろうな。一年中ヤシの木を見上げながら和歌をつくるわけもいかないし(季語は『サーフィン』と『ゴルフ』)、歌合せとかのかわりにビーチでバーベキューしながらラップを口ずさむいうわけにもいかないだろし。


さてさて、サンディエゴに来て何だかんだで一カ月が経ち、いまは明日と明後日に控えた経済と統計の最終テストに向けて勉強をしているところです。そんなに難しい試験でもないようなのでそんなに心配はしていないけど、あまり悪い成績も取れないので、さっきまで統計テスト持ち込み用シート(チーチーと呼ばれています。cheating sheetから来ているのかな?)をカリカリと作成していました。明後日が終われば、ちょこちょこあるオリエンテーションを除いて今月23日の学期開始までフリー。まだ特に予定は立てていないけど、とりあえずサーフィンに挑戦したりサンディエゴ・ゴルフコースデビューを果たしたいとぼんやり考えています。


PREPの授業のすべてをとっているため、友達が増えてきて、金曜日や週末は結構な頻度で夕食だったりホームパーティーという名の飲み会だったりに誘われるようになりました。日常会話の上達のためにも基本的に誘いは断らないようにしているのだけど、やはりそういう場でこそ見えてくることもあるのだよね。

まだうまくは言えないけど、インターナショナルっていったいどういうことなんだろうと最近ふと思ったりします。日本にいるときには自分自身の考え方が国によって規定されているとはあまり思っていなかったし、そこは今もそんなに変わらないけど、さまざまな国から集まっている人たちのなかにおいては、やはり『日本人』ということからは逃れられないんだよね。日常生活のどんなシーンにおいても、英語の流暢さとか個人の性格とは違うレベルで、『ナショナリティー』とか『人種』という不可視のカテゴライズが、ある意味で価値中立的に(場合によっては差別意識を伴って)、人々のうえにふんわりとのしかかっているような気がする。別に日本人であることから逃れたいとか全く思っていないけど、そういう『なんとなくみんなそうしてる』ものについて、ふうむと考えてみたりしています。


こういうことを書くと、難しいことばかり考えながら暮らしているように思うかもしれないけど、基本的にはそんなことなく、勉強の合間を縫って、サンディエゴの陽の光を浴びながら、ランニングにサッカーにテニスにと運動三昧の毎日です。日本にいたときにくらべてたぶん3,4倍くらいは運動しているので、とにかくおなかが空いて仕方がない。というわけで、日本にいるときからよく食べていた月見そばや納豆に加えて、最近は肉とかも食べるようになりました。

最近のベストフードは、カリフォルニアに展開している『IN-N-OUT』のハンバーガー。アメリカのハンバーガーはやたら大きいというイメージがあるかもしれないけど、ここのはだいたい日本で見るのと同じようなサイズ。パンはふわふわ、野菜は新鮮、肉はジューシーで個人的にはモスとかフレッシュネスとかより好きかも。写真のは肉がダブル、それにポテトとドリンク(飲み放題)がついて5ドルちょっとだから、けっこうリーズナブルでもある。けっこうおいしそうでしょ。


とまぁ息抜きがてらつらつらと書きましたが、これからまた試験勉強に戻りたいと思います。試験が終わったらいろんなところに行って楽しんできたいと思います。とかいいながら、ビーチでぼぉっとしているだけかもしれないけどね。仕事している人は週の折り返しの水曜日ですね。夏休みも終わってあまりモチベーションもわかないだろうけど、週末をめざしてがんばってくださいな。ではでは、みなさんごきげんよう

どちらともいえない


日本は土曜日の昼下がりですね。まだむしむしする暑さは続いているのでしょうか。
サンディエゴは金曜日の夜の23時過ぎ、今日の夜はいつもよりも少し寒い気がします。

8月も終りに近づいて、こちらでの生活にもだいぶ慣れてきました。
英語、経済、統計と3つとっているprep courseも折り返し点を過ぎて、後半へと入っています。始めのうちは、授業の内容はだいたいわかるものの、2時間×数コマのあいだ英語を聞き続けることにすっかり疲れてしまっていたのだけれど、2週間余り過ぎて、頭がだんだんとそんな毎日に適応してきた気がします。
相変わらずネイティブ同士の会話にはほとんどついていけないけど、そんなのは簡単にできるようになることではないので、とりあえずは我慢強く段差の小さい階段をとぼとぼと登って行かないとね。


ぼくは今まで経済学も統計も全くふれずに生きてきたので(別に全ての教育学専攻の人に当てはまるわけではなく、おそらくぼく自身の不勉強ゆえです)、英語ではじめてそれらの分野を勉強しているわけだけど、授業の様子を見ているとちょっとイメージと違っておもしろいなぁと思ったりします。

英語の授業は9月下旬から始まる本学期の政治系の授業スタイルへの適応も目的としているからか、基本的には毎回宿題としてリーディングが課され、授業ではそれについて各々が考えたことを持ち寄ってディスカッションを行うという形式で進んでいきます。まぁ日本人が想像するところの『アメリカの大学の授業』です。

ところが、経済とか統計になるとそうではないんだよね。
事前に予習してくるまでは同じなんだけど、基本的に数式とかセオリーとかは丸暗記。そして、授業中に先生が軽くセオリーを応用しようものなら、教室が騒然としはじめる。
質問を聞いていると、そもそもこの人たちは数学の証明問題とかやったことがないんじゃないかと思うような内容・・・というか、そんなこと自分で調べて勉強しろよ、というレベルのことが次から次へと先生に投げかけられ、先生もそれに丁寧に答えるものだから、そんな時間が始まると退屈であくびが出てしまいます。

よく『日本の授業スタイルは一方的でよくない』みたいなことが言われるし、英語の授業を受けている分には事前に文献を読み込んでディスカッションするというスタイルが持つ良さも理解できるのだけど、それと経済やら統計やら数学を使う学問の授業形態の間に存在する落差はいったい何なのだろうと不思議に思います。UCSDに来てるくらいだからそんなに勉強ができないわけでもないのだろうし、ただ単に数学が嫌いな人が多いということなのかな、うむ。
一言で『アメリカの授業』というけど、これだけ違うといいとも悪いともどちらとも言えないよなぁとね。まぁ『marginal cost』を『限界費用』と訳す日本の経済学もどうかとは思うけど。


それはそれとして、授業が終われば友達との交流の時間。あまり社交的とは言えないぼくですが、まずはじめは、ということでとりあえず誘われたら何にでも参加するようにしています。
そんなこんなでテニスやらサッカーやらランニングやらをやっているせいで(しかもみんなあまり手を抜かないんだよね。これも文化の違いかな)、みるみるうちに体に筋肉がつきはじめ、毎日おなかが空いて仕方ありません。
朝食や間食に何を食べていいのかわからないので、そんなときはダイエット・ペプシを飲みながらセロリにマヨネーズをつけてポリポリとかじっています。健康にいいのか悪いのかはわかりません。


週末は来週月曜の英語のプレゼンの準備と統計の試験の勉強、ダウンタウンでのパーティー、language exchangeをしているアントニオ(どこぞの鈴木君ではありません)との夕食とけっこう忙しくなりそうです。日本にいたときは昼前に起きて、昼ごはんはそば屋でビールを飲んで、夜はワインを飲んで、みたいな感じであっという間に過ぎ去っていったのになぁ。というわけでみなさんもよい週末をお過ごしください。ではまた。


写真はアパートの近くにあるスーパーマーケット『VONS』。そんなに安くはないけれど、いろんなものがそろっていて、レジにはつるつるあたまにレイバンの黒縁メガネをかけた小さいおじさんがいます。とても愛想がよくて親切な人で、IDを見せなくてもBud lightを売ってくれます。

とりあえず書いてみる


どうもこんばんは。日本は相変わらずむし暑いと思いますが、みなさん元気にお過ごしでしょうか。
8月2日にサンディエゴに到着してから、なんだかんだで2週間が過ぎました。
もう2週間とも言えるし、まだ2週間とも言えるし、なんだかよくわからない感じです。

サンディエゴはいま夜の12時前、英語のリーディングを終えて、サンディエゴのFMでジャズを聴きながらブログを書いています。昼間はどこまでも広い空に太陽が輝いているものの、夜になると上着が必要なくらい冷え込んできます。家の外はとても静かで、車が走る音すら聞こえません。

入国したサンフランシスコでトランジットに間に合わず、空港で4時間待ちぼうけというハプニングから始まり、サンディエゴ到着後は住居契約、車の運転、utility契約など、生活基盤をなんとかバタバタと1週間程度で整えて、先週からは1週間遅れでprep(9月下旬から始まる授業への導入みたいなもの)クラスに参加しています。

会社の先輩が今年の夏まで同じ大学院に留学していて、家具や車などはその方から引き継いだこと、最初の2,3日にわたって、付きっきりで生活の立ち上げを手伝ってくれた方がいたこともあり、いろんなことが思ったよりスムーズに進みました。

渡米翌日の朝から赤いFord Mustangに乗ってハイウェイを運転したときは結構緊張したけど、通学も買い物も車という生活の中で少しずつ慣れてきたような気がします。まぁ最初は対向車線に進入したりしたけどね(しかも対向車がくるまで気がつかなった・・・)。日本車とくらべて車体が大きいうえに、アクセルを踏み込むと一気にスピードが出るので(おそらく微妙な調整をするようにはできてない)、ハイウェイを走っていると気持ちがいいのだけど、街のなかをトロトロ走っているときは心のどこかでその造作の大袈裟さを空しく感じるような車です。普通に考えれば2年間の付き合いになるので、どうせなら名前をつけようと思っているものの(『○○○号』みたいな)なかなか考え付きません。

学校の授業は土日をのぞいてほぼ毎日あるため、友達は自然とできてきています。大学院の特徴ゆえなのか、ほんとにアジアや中南米を中心とした留学生が多く、学生もインターナショナルな構成になっています。友達と言っても、大学を卒業してそのまま留学してきている22歳の女の子(中国人)とかもいて、その子から流暢な日本語で『28歳ですか?同じくらいの年齢だと思ってました。』とか言われると、いったいどこの国にいて何をしているのか、よくわからなくなるような時もありますが、そんなよくわからなさも含めてユニークなおもしろみを感じます。もうそんなには若くないなと思っていたのだけど、ふつうにいろんなものになじんでいっていることを考えると、そうでもないというか、自分で思っているほど大学時代から成長していないということなのかもしれない。

とりあえず新しい環境に来たばかりで目の前のことに追われる時間が多く、いろんなことを受け止めて考えたりしたことを文字にしていくようなことができていないので、しばらくの間、このブログも徒然なるままにサンディエゴについてやちょっと気づいたこと、生活の様子などについて書くことが多くなってしまうかもしれないけど、しばらくしたら、またキチンとまとまったことを書いていこうと思います。それがいつになるかはわからないけど。ではまた。

写真:大学院のイベントでいったサンディエゴのダウンタウンにあるパドレススタジアム。メジャーリーグは安くて楽しいね。ちなみに万年弱小チームのパドレスだけど、今年は結構強いらしいです。せっかくだから、にわかパドレスファンになってしまおうかと考えてみたりしています。

きっと、そこでしかできない

 それまではあまり熱心な小説の読み手ではなかったぼくが、本を読むきっかけになったときのことを今でも覚えています。
 中学三年生の冬のある夜、ぼくは寝支度をすべて整えて布団に入ろうとしていました。特別なことは何もない、いつもと同じ一日の終わり、でも一つ違っていたのは、布団に入る前にふと本棚にあった一冊の本を手に取ったということ。
 どうしようもできない悩みとか、やりきれない思いとかを抱えていたわけでもありません。ただ、どこかで同じような毎日の中に、何か物質的な指標がほしかったのだと思います。朝起きて学校に行き、授業を受けて部活動を行い、帰宅して宿題を済ませて寝る。そのくり返しがどこまでも続いていくように思えた生活を区切っていく、わかりやすい目盛りのようなものをセットしたかったのでしょう。
 その本は程よいサイズの章立てで、かつ全体としては長いものでなければなりませんでした。章のサイズは目盛りの明確さを、本の厚さはとにかく見通しうる未来を、何かしらの基準を持って進んでいけることを約束してくれるように思えたからです。
 ぼくはそのとおりの本を選び、一日の終わりに1章ずつ読んでいきました。始めはルーティーンとして始めたものが、その小説世界の魅力的な不可思議さに引き込まれていくにつれて読む分量が増えていき、やがて現実世界の物差しという役割を超えて現実世界とパラレルに存在する想像の世界としてぼくの生活に定着しました。
 その生活は今に至るまで変わっていないのだけど、もし、そのとき手に取った本が違うものであったなら、今の自分もまた全く違った人格であったかもしれないと折にふれて思います。そんな経緯もあってか、今でも村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』のページを開くたびに、ぼくは心の中の小さな部屋のとびらをそっとあけたような気持ちになります。

 
 5年ぶりに訪れたアメリカからの帰りの飛行機のエコノミーシートで、ガルシア・マルケスの『生きて語り伝える』を読むのに疲れ、殆どの乗客が眠りにつき静まりかえった機内をぼぅっと眺めながらそんなことを考えていました。
 今こうやって飛行機の中で、5本目の機内サービスのビールを飲みながら、黙々と本を読み続けているのも、あの日の夜にふと本を手に取ったから。
 中学生がたいした考えもなく思いつきみたいにして始めたことが、10年以上経って生活に深く染みつき、ただでさえ少ない睡眠時間を削ってまで深夜に本を読み続けるという、人によっては不可解に思われる習慣につながっているなんて不思議なものだなとふと思ったのです。

 
 アメリカに行ったのは、今年の夏から2年間留学する大学院のイベントに参加するためでした。
 ぼくにとって、新しい環境で生活を始めるというのはあまりあることではありません。どちらが良いというわけではないけれど、ぼくは『とりあえずやってみる』よりも『立ち止まってじっと考えてみる』ことが多い人間です。人格の少なくない部分を小説を読むことによって形成してきたせいか、実際に経験してみるよりも、小説や映画や絵画といった媒体をとおし、自分の想像力によって経験するものをよりリアルに感じるようになったからだと思います。その結果、新しい環境に身を置く際には、自分に対して何かしらの理由を求めるようになりました。
 要するに、新しいことをすることを目的としては行動を起こしたりはしないタイプなのです。人によってはめんどくさいやつだと思うかもしれないけど、性格がひねくれているので仕方ありません。


 そう考えると、今夏からの留学はぼくにとって大きな意味を持つことになります。
 イベントのためにアメリカに滞在したのはわずか4日間でしたが、東京とは全く違う気候の中で見知らぬ街を見てまわったり、同じく秋から入学する外国人とたどたどしい英語で話したり、静かな部屋の窓からさす陽光の中でテレビもつけずにぼぅっとしたりしているうちに、少なくともここにいる2年の間に自分自身で決めた何かを始めないといけない、とぼんやりと思いました。
 見通しうる将来において、2年もの間、(もちろん大学院での勉強はあるけど)これほど強制されるもののない中で、自分が持つ何かを追求できる機会はないだろう。だからこそ、ここでできなければ、おそらくその後の人生においてもきっとできることはない。この2年間ですべきことは、これからの自分の人生を構成していく、様々なサイズの何かを始めること、リズムを保ちながらそれらを自分のペースに乗せていくこと。


 さて、最後になりましたが、ぼくは今年の夏(おそらく7月下旬)から2年間、アメリカのカリフォルニア州立大学サンディエゴ校(UCSD)の大学院に留学し、IR/PS(国際関係及び環太平洋地域研究)を学ぶことになりました。
 サンディエゴはアメリカ西海岸の海沿い、メキシコとの国境の近くにあり、澄んだ青空の下に小さい丘が連なる住みやすい街です。そしてぼくが留学するUCSDのIR/PSのプログラムは、日本が今後さらに関係性を深めていくべきアジアを含む環太平洋地域にフォーカスし、政治、安全保障、歴史、経済、環境、ビジネスといった多様な面からアプローチしていくというユニークなものです。
 渡米まであと3ヶ月くらいありますが、その後は基本的に2年間帰国できないので、その前にぜひみなさんとお酒でも飲みたいと思っています。そして、もし機会があったら気軽に遊びに来てください。テスト期間とか勉強が忙しい期間でなければ、よろこんでサンディエゴを案内しますので。


写真:サンディエゴの海辺。もう少しで夕暮れです。

昨日と今日の過ごし方


こんばんは、ふと気がつくともうすぐ4月になってしまうのですね。
いまは日曜日の静かな夜、この三連休は久しぶりに予定を入れずに一人で過ごしています。
まだ三軒茶屋の寮に住んでいたときのように、静かな夜に眠くなるまで本読んで、昼前に何とか起きて、駒沢公園を一時間半走って、スタバでミルクを入れたドリップコーヒー飲みながら本を読んで、スーパーとかコンビニとかで適当に晩御飯を買って、白ワインとか飲みながら寮でDVDを見て、ブログをつけて、そしてビールを読みながら本を読む・・・いまはそのブログをつけているところです。何か文章が長いね。

入社して4年目も終わりそうな今日この頃に読んでいるのは、ガルシア・マルケスの『生きて語り伝える』というなかなかシブい本です。はっきり言って読書から何かを得ようと思っている人でないと読み続けることは難しいものだと思うけど、このたんたんとした語り口、何でもないように見えて滋養に富んだ文章はなかな書けるものではない(当たり前だけど、それでも)。とは言え、ぼくもそんなにスラスラと読めているわけではないけれど、どこか間延びしたような3月の夜にはそれもまたいいのかもしれない。
この本の前にイアン・マーキュアンの『初夜』と『贖罪』を読んで、よくできている小説だな、と思ったけど、やはり自分はうまい小説よりも不思議な力のあるストーリーテリングの方が好きなのでしょう、きっと。そういう意味で『ああ、なんて素晴らしい!』はおもしろかったな、うん。

そして、入社して4年目も終わりそうな今日この頃(っていうか昨日と今日)に見たDVDは『BOY A』と『スクール・オブ。ロック』と『イカとクジラ』。どれもぜんぜん違っておもしろかったのだけど、楽しみにしていた『BOY A』が一番でした。ああいう静かな作品は俳優の確かな演技力と効果的なカメラアングルあって初めて成り立つもの。また見ていない人はぜひおススメです。まぁぼくがすすめるくらいだから決して明るく楽しい話ではないけれどね。『スクール・オブ。ロック』は『天使にラブソングを』のロック版のような映画で純粋に楽しい。『イカとクジラ』はシニカルで何か『あぁ、自分も含めて人間ってつくづくこんなものだよなぁ』と感じさせてくれるいい(?)映画でした。

さて、話は変わるけど、ぼくはと言えばおそらく来週くらいに留学先が決まり、夏からは2年間その大学院に留学することになります。1月にブログを書いたときには『まだ半年以上あるな』とか思っていたのだけど、いつの間にかあとたぶん4ヶ月(くらい?)。アメリカでの生活を前に、予め勉強もしておかないといけないのはもちろん、具体的に何を自分に課して、そのために日本でやっておかないといけないことは何か、と考えていると、おそらく4ヶ月なんてあっという間なんだろうな。まぁ留学先とか時期とか決まったら正式にここで報告するつもりです。果たしてどれだけの人が読んでいるのかはわからないから、久しぶりに会って初めて『え、留学するの?』みたいな感じになるかもしれませんが。

そういえば4月にいよいよ村上春樹の『1Q84』第3巻が出ますね。何の誇張もなくとっても楽しみです。それまでには今の本を読み終えないとな。というわけで、つらつらと近況を書いてみました。今度はしっかりと考えてから書こうと思っています。

おもしろくも何ともない文章を読んでいただいたお詫びに、2月に先輩に連れて行ったもらったスキー旅行の帰路、仙台の寿司屋で食べたランチの写真を載せてみました。ブログの内容とはまったく関係ないけど、おいしそうでしょ?うん、とてもおいしかったですよ、もぐもぐ。